プロ通算224勝を挙げた名投手であり、監督として日本シリーズを5度制覇した名指導者としても知られる工藤公康氏。福岡ソフトバンクホークスの監督就任1年目に日本一を戴冠しましたが、自信をもって臨んだ2年目のシーズンはリーグ2位に終わります。工藤氏にとっては大きな挫折でした。再び日本一になるためには自分が変わらなければならない。そう決意した工藤氏が選んだ方法は、自身の思考を可視化するための「メモ」でした。

『工藤メモ 「変化に気づく、人を動かす」最強の習慣』の序章から、一部を抜粋して掲載します。

気づいたことはすぐにメモしていた

私は福岡ソフトバンクホークスで監督をしていた当時、試合前、試合中、試合後問わず一日中、その時々で気づいたこと、ひらめいたことをすぐにメモ書きすることを習慣にしていました。

メモは手帳に書くときもあれば、スケッチブックに書いたり、メモ用紙のようなものに走り書きしたりすることもありました。試合後、各種データを集めたチャートがプリントアウトされて私のもとに来るので、その紙の裏にメモを書くことも多かったです。

メモをすることは「気づいたこと」すべてなので、内容は多岐にわたります。選手のプレーに関することだけでなく、選手のベンチでの様子を見て気になることがあれば書いたりもしていました。

選手のプレーでいえば、ファインプレーをしたとき、「ここがよかった」と書くこともありますし、目立たないプレーだったけれども「実はこのプレーが勝利につながった」という隠れたファインプレーも備忘録的にメモしていました。

私は代打や代走で選手を出す場合、「用意しといて」とその選手に伝えるのですが、察しのいい選手は私が言う前にすでに準備を始めていました。そんな選手に関してもメモを残し、翌日その選手と会話をしたときにサラッとほめることもありました。

メモを見直して思考を整理する

うまくいかなかったことや反省点を整理するため、あるいは忘れないためにもメモは大事だと思います。

試合中はいろいろなことが起こりますから、監督である私も「明日からはこうしよう」「あの選手にはこう言おう」「あのコーチにはこれを言っておかないと」など、いろいろなことが頭に思い浮かびます。私も記憶力は悪くないほうですが、それでも20個も30個も言うべきこと、伝えるべきことを翌日まで記憶しておくことはできません。だから私にとってメモは、日に日に欠かせないもの、なくてはならないものになっていきました。

「これを伝えよう」とメモをしても、次の日までに頭を整理していくうちに考えが変わり、伝えないこともありました。一度書いたものを時間を置いてまた見直すことで、頭の中が整理できて、その瞬間には見えなかったものが見えてきたりすることがあります。そんな過程を経ることで、「やはりこれは伝えなくていい」ということも出てくるのです。

ある選手が試合でミスして、私がそれをメモに書く。翌日、試合前にそれを伝えようとしたら、その選手がそのミスを克服すべく練習に取り組んでいるのを見て、話しかけるのをやめたことは何度もあります。

選手やコーチが自発的に動いてくれれば、伝えなくていいこともたくさんあります。だからメモに「明日はこうする」と書いたとしても、すべてがそうなるわけではないし、そうする必要もないのです。

コミュニケーションのためのメモ

監督時代、私のカバンには常にスケッチブックが入っていました。試合でスタッフからもらったチャートは1枚ずつファイルに入れて保管し、いつでも見返すことができるようにもしていました。

そもそも、私が本格的にメモを取るようになったのは、監督3年目の2017年からです。監督1年目の2015年は幸いにもシーズンを制して日本一になれましたが、2016年はシーズン2位に終わり、クライマックスシリーズでも勝つことができずに日本シリーズ3連覇を逃しました。そのとき私は「1年目は運よく日本一になれただけだ。何かを変えなくては、再び日本一にはなれない」と思いました。そしてその「何か」とは、自分自身であることに気づいたのです。

それまでの私は「監督」という重責を果たそうと、コーチ、選手を含めたチーム全体に私の考えを浸透させ、共通の認識を持たせることに重きを置いていました。ひと言でいえば、すべてを自分でやろうとしていたのです。でもその結果、リーグ優勝も日本一も逃してしまいました。

この反省を生かし、3年目からの私は、基本的に「その分野のことは専門のコーチ、スタッフに任せる」ようにしました。そのためにはコーチやスタッフ、さらには選手たちとも密にコミュニケーションを取っていく必要があります。

双方向のコミュニケーションを円滑に図るには、準備がとても大切です。球場で一日過ごしていれば「あの人にあれを伝えたい、これも伝えたい」といろいろなことが頭に思い浮かびます。そのすべてを記憶しておくのは不可能ですから、私は常にスケッチブックや手帳などを携帯して、その都度思いついたことをすぐにメモするようにしていきました。これが、私がメモを取り始めたきっかけです。

素直に感じたままのことをメモする

大抵のことをコーチやスタッフに任せるようになり、さらに周囲とのコミュニケーションを密にしていったことで、チーム状態は徐々に上向いていきました。

監督6年目のとき、ある選手から「監督、変わりましたね」と言われました。自分が変わったかどうかは、なかなか自分自身ではわからないものです。でも、選手がそのような評価をしてくれたことは素直にとてもうれしかったですし、「自分のやっていることは間違っていない」と確信を持つこともできました。

監督を7年間続け、日本一に5回なりましたが、選手に言われた「監督、変わりましたね」のひと言が何よりもうれしかったのです。

選手やスタッフに私の考えを伝えるために、自分の言葉を飾りつけるようなことはしないようにしていました。私が一番大切にしていたのは「素直に感じたままを、丁寧に話す」ということです。結局のところ、小難しい言葉や気取った言葉よりも、素直な思いを言葉にしたほうが相手の心に響くのではないでしょうか。

だから私は、その瞬間に思いついたことを、携帯しているスケッチブックや手帳にそのままメモするようにしていました。そしてそれをあとで見直して「よし、あの選手にはこう伝えよう」「あのスタッフにはこう相談しよう」と考えをまとめていました。自分の思いつきやひらめきを忘れないうちに、あるいはその瞬間の思いが冷めないうちに、メモ帳の類を常に携帯しておくことが肝心なのだと思います。

著者プロフィール

工藤公康(くどう きみやす)

1963年愛知県生まれ。1982年名古屋電気高校(現・愛工大名電高校)を卒業後、西武ライオンズに入団。以降、福岡ダイエーホークス、読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズなどに在籍し、現役中に14度のリーグ優勝、11度の日本一に輝き優勝請負人と呼ばれる。実働29年プロ野球選手としてマウンドに立ち続け、2011年正式に引退を表明。最優秀選手(MVP)2回、最優秀防御率4回、最高勝率4回など数多くのタイトルに輝き、通算224勝を挙げる。正力松太郎賞を歴代最多に並ぶ5回、2016年には野球殿堂入りを果たす。2015年から福岡ソフトバンクホークスの監督に就任。2021年退任までの7年間に5度の日本シリーズを制覇。2020年監督在任中ながら筑波大学大学院人間総合科学研究科体育学専攻を修了。体育学修士取得。2022年4月より同大学院博士課程に進学、スポーツ医学博士取得に向け研究や検診活動を行う。仕事の傍ら農作業、DIYに勤しみ、子供たちの未来を見つめ、手作り球場や遊びの場を作る活動も行っている。