西岡 だから、ヴェルサイユ講和会議で日本が人種差別撤廃を提案したとき、拒否されたわけですね。民族自決というのは、白人のキリスト教徒にのみ許された権利である、と。

※第1次世界大戦後のヴェルサイユ講和会議で、日本は国際連盟の規約に人種差別撤廃を明記することを提案したが、米ウィルソン大統領の裁定で否決された。


中西
 白人社会の論理なんですね。

西岡 黄色人種や黒人、異教徒は、植民地の民として支配して、文明化する対象でしかないんだ、と。そういう認識に対して、日本は日露戦争に勝つことによって、文明というのは人種や宗教に関係なく、人類の普遍的財産になり得ることを示した。そして、そういう文脈のなかで満州問題についても日本なりの方法で解決しようとしたのであって、満州に満州族の国を建てたことを侵略ととらえる見方は、やはりたいへんおかしい。

中西 どう考えてもおかしいです。戦間期の国際秩序というものに対して、「日本さえ戦争を起こさなければ、平和がずっと続いたんだ」というとらえ方が本当に正しいのか、いま日本人はあらためて問い直さないといけない。

私は、植民地をさらに広げて「委任統治領」とかが世界各地でたくさん誕生した戦間期の国際秩序なるものに比べれば、第1次世界大戦前の「帝国主義の時代」と呼ばれていたころのほうが、よほど公正で、はるかに平和な時代だったと思います。

戦間期の体制は、ヴェルサイユ条約や国際連盟規約、不戦条約、そしてワシントン条約といった取り決めによってつくられたわけですが、それらはことごとく正義を欠いていたといっていいでしょう。

たとえば、国際連盟規約は日本が提案した人種差別撤廃条項を否定したうえででき上がったものですね。ですから、われわれ日本人は決して国際連盟なんてありがたがってちゃいけないのです。当時、日本は国際平和のために不承不承、国際連盟のメンバーに名を連ねたのであって、あの機構そのものは人種差別撤廃の提案を否決するという大きな不正義のうえに成り立っていたわけです。

のちに松岡洋右首席全権が大見得をきって脱退しますが、そもそも、そんな人種差別を認めるような機構に加盟していたのがおかしいくらいで、むしろ当初からヴェルサイユ条約も国際連盟規約も蹴飛ばして帰ってきたらよかった。

※1933年、満州事変が正当防衛にはあたらないとしたリットン報告書が国際連盟特別総会で採択されたことに抗議して、日本の松岡洋右首席全権が「連盟と協力する努力の限界に達した」と表明して会場を去り、連盟を脱退した。


そうしていれば、今日のわれわれは「日本は人種差別を撤廃するために身を挺して戦ったんだ」と、もっと胸を張っていえたはずです。そうすれば、世界史上に燦然と輝くほど、日本人の精神的優位を歴史に刻んだに違いないと、私は若いころから口惜しく思っていました。

したがって、ヴェルサイユ講和会議に日本の首席全権として参加した西園寺公望と、同じく全権の牧野伸顕は、日本近代史におけるたいへん愚かな選択をした人だと思います。

※牧野伸顕(まきの のぶあき):1861~1949。外交官。政治家。伯爵。農商務大臣、文部大臣などを歴任。父は維新の元勲・大久保利通、女婿はのちの首相・吉田茂。


そして、先ほども少しふれましたが、ワシントン会議(1921~22年)においても日本は大失態を演じています。この会議は日英同盟の破棄とか海軍の軍縮といった点ばかり注目されますが、実は西岡先生が指摘された満州問題も話し合われていたんですね。

ところが、この条約によって満州が中国と同じ扱いになってしまった。しかも、日本はイギリスやアメリカが中国にもっていた権益をそのまま認めるという大失態を演じています。このことによって、日露戦争で日本が大きな犠牲を払って合法的に獲得した南満州鉄道(満鉄)の運営権や旅順・大連の租借権といった権益が脅かされるようになるんですね。

蒋介石の国民党や張学良の奉天軍閥が、軍事力によって奪い取ろうとしてきたわけです。実際、張学良は北満州にソ連がもっていた東清鉄道を力ずくで奪い取ってしまった。

※張学良(ちょう がくりょう):1901~2001。中華民国の軍人・政治家。満州を支配した奉天軍閥の総帥・張作霖の長男。国民党を率いた蒋介石を拉致監禁した西安事件を起こし、国共合作をうながした。


これはもともとロシアがもっていた権益なんですが、ロシア革命後、ソ連が継承したものです。帝国主義利権を共産主義政権が10年以上にわたって保持していたというのもおかしな話ですが、鉄道利権を欲しがっていた張学良が、このとき「ソ連弱し」と見て奪った。こうなると、どちらが侵略かわかりませんね。これが満州事変の2年前、1929(昭和4)年のことでした。