世界経済がブロック化するなかで、日本が生き残るためにやむにやまれず始めたことであって、日本民族が他民族に優越すると信じたからでも、世界を征服するためでもありません。

ところが、大正まではまともだったけど、昭和に入って突然、日本はおかしくなってしまったという司馬遼太郎さんのような歴史観は、そういう連合国側の言いがかりを肯定してしまいます。私は、明治以降、日本は本質的に変わっていないと見るべきだと思います。

中西 私も、まったく同意見です。いまのご指摘は非常に重要なことで、そういう意味では平成も明治につながっているんですね。「五箇条の御誓文」は、平成の現在においても変わらない日本の国是だと思います。

したがって、あの戦争について考えるとき、たとえば満州事変という、突然、始まったできごとに起点を求めるのは大きな間違いで、満州事変を招いた大正時代の日本外交と、それを取り巻いた国際社会こそ、しっかり検証すべきなんです。

さらには、日露戦争や日清戦争も含めて考えないといけません。そもそも、「70年談話」にあるような日露戦争まではよかったが、それ以後は悪い戦争だった、というのもおかしい。そして、大東亜戦争のより深い本質に迫ろうとするなら、本当は幕末の日本に欧米列強が押し寄せてきた歴史を振り返るべきだと思います。

いま西岡先生がおっしゃったように、司馬遼太郎さんをはじめとして戦後、日本人の歴史観に影響を与えた人の多くは、「大正まではよい時代だった」というように、とくに大正という時代に対して奇妙な思い入れがありますね。

西岡 司馬さんは1923(大正12)年のお生まれですから、大東亜戦争が始まった年は18歳です。つらい時代のなかで青春時代を迎えた世代ですから、それだけに平和な大正に対する憧れがあるのかもしれませんね。ある種のノスタルジーでしょうか。

中西 私は、間違ったノスタルジーだと思うんです。というのは、つねに昭和20年8月を原点として見ようとするから、大正という時代が実態以上によく見えるし、その反動として昭和の前期がいっそう沈んで見える。

もちろん、実際にあの過酷な時代を経験したインテリにとっては、ものすごくイヤな時代だったと思いますよ。軍隊では、いきなり鉄砲を持って走らされたり、本もロクに読めなくなるわけでしょう。やがて本土が空襲されるようになると、家が焼かれる、家族や友人が命を落とす、食べるものがない……。

しかし、物資には余裕があったはずのアメリカでも、従軍した世代の人に話を聞いてみると、「二度とあんな時代はごめんだ」って言っていました。イギリス人もフランス人も、それは同じですね。敗戦国民はもちろん、戦勝国民にとっても、戦争の記憶というのは、つねにとてもつらいものなんです。「日本の戦争だけが悪い戦争だったから、つらい思いをした」わけではないのです。

しかし、戦後の日本では、そういう思いを抱いた世代の人たちが、戦後、しばらくすると高度経済成長を経験し、そういうなかから少しずつマイルドな東京裁判史観をつくり上げていくわけですね。つまり、日本は戦争に負けたから民主化したんだ、経済成長もできた、こんなに豊かになったのだから負けてよかったじゃないか、と。

ただ、これは一方であまりに楽天的な歴史観だったと思います。1つは、あの戦争に負けたから高度経済成長ができたというのは、歴史的事実に反するからです。たとえば、明治時代に日本が経験した経済成長のほうが、戦後の経済成長より規模が大きかったわけです。軽武装に努めたから経済成長した、というのも、実はおかしいわけです。

いまと比べれば膨大な額の軍事費が国家予算を圧迫しているのに、大正時代には信じられないようなバブルもありました。ですから、敗戦と高度経済成長を結びつけて考えるのはあまりに楽天的、幼児的にすぎる見方なんですが、それが戦前・戦中に暗い青春時代を強いられたという怨念と一緒になって、その歴史観がいまだに力をもっている。一刻も早く、そうしたアメリカ占領軍が植えつけた歴史観からは抜け出さないといけません。

(後編に続く)