日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/09/22 10:50

飯坂温泉の近くに医王寺という寺院がある。飯坂温泉から2キロほどしかないのだが、この日は福島交通の1日乗車券を購入していたためせっかくなので福島交通に乗車。2駅先の医王寺前駅から歩いたものの、駅からは1.5キロほどありそれほど変わらなかった。

かつて福島市付近は信夫(しのぶ)荘と呼ばれた。平安時代末期にこの地を本拠としたのが佐藤氏である。地名を取って信夫佐藤氏といわれる。佐藤氏の本来の嫡流は祖公清の直系にあたる紀伊佐藤氏であった。しかし、平安時代末期に鳥羽院の下北面となっていた義清が23歳で出家。佐藤家は弟の仲清が継いだものの、次第に没落していった。この義清の出家後の名前は歌人として知られる西行である。
嫡流が没落したため、かわって佐藤一族の惣領的立場になったのが、信夫佐藤氏であった。信夫佐藤氏は公清の従兄弟の子にあたる師清の子孫で、本来は別流なのだが以後は佐藤氏一族を代表する存在となった。
なかでも、源平合戦の際に源義経に従った継信・忠信兄弟が有名。継信は屋島の戦で義経をかばって戦死、忠信は吉野潜伏に随行、のち京に出たところを糟屋有季に見つかって自刃した。兄弟ともに非業の死をとげたことから歌舞伎などでも題材として取り上げられることも多く、「佐藤氏」といえば信夫佐藤氏を指すようになった。
この佐藤氏の菩提寺が医王寺で、継信と忠信の墓とされる板碑が残されている。また、松尾芭蕉も奥の細道の旅の途中に医王寺を訪れ、「笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟」という句を詠んでいる。

