人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

白河城下と小峰城

このエントリーをはてなブックマークに追加

2022/09/13 10:37

小峰城の巨大石垣

9月10日はJRの「青春18切符」の使用最終日。1回分だけ残っていたので、日帰りで各駅停車を乗り継いで福島県の白河に行って来た。

以前この欄で紹介した結城朝光は、本拠地結城の他に陸奥白河にも所領を賜り、代官を派遣して支配していた。そして、鎌倉時代末期に朝光の曾孫朝広がその所領を受け継いで白河に下って白河結城氏となり、搦目城を築いて戦国時代までこの地の大名として続いた。

白河結城氏は豊臣秀吉の小田原攻めに参加しなかったために、小田原落城後の奥州仕置で改易。以後、蒲生氏、上杉氏を経て、丹羽長重が領主となって城を改修し、現在の巨大な石垣を持つ小峰城となった。ただし、天守閣は作られず三重櫓のみで、平成3年に復元されている。

平成3年に復元された三重櫓

長重は織田信長の重臣として知られた丹羽長秀の長男で、現在の白河の町並みの基礎を築いたことでも知られる。

現在も街には城下町らしいクランクが残り、「勘定町」「鷹匠町」といった城下町ならではの地名も残っている。しかし、旧市街地には電柱の地名表示板が見当たらず、写真を撮ることができなかった。また、市街地のはずれにある小南湖に丹羽長重廟があるので行ったみたが、残念ながら立ち入り禁止だった。

城下町らしいクランク
小南湖
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ