人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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源頼朝の子孫と伝える大名

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2022/07/12 10:14

(photo by YATA!/Adobe stock)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝をメインとした前半部分が終了した。この中で、源頼朝の女性関係がかなりルーズであることが描かれていた。これらは根も葉もないことではなく、実は源頼朝と愛人の間に生まれた御落胤が先祖である、といい伝えている戦国大名がある。

薩摩の大名である島津氏の系譜を記した『島津家譜』によると、祖島津忠久は源頼朝と丹後内侍(丹後局)の間に生まれた子となっており、江戸時代に幕府が編纂した公式系譜集『寛政重修諸家譜』でも採用されている。

丹後内侍は頼朝の乳母比企尼の長女で、惟宗広言の妻となった後に離縁し、関東に降り安達盛長(藤九郎)に嫁いでいる。後に丹後内侍が病気になると、頼朝は供2人を伴って盛長の屋敷を密かに訪れて見舞うなど、頼朝とはきわめて近い関係にあったことから、こうした話が生まれたものとみられる。

島津氏の祖忠久は『明月記』などに惟宗忠久と書かれているように、公家近衛家領の島津荘の下司をつとめた惟宗広言の子である。なお、近年は通字などの観点から広言の実子ではなく養子であるという説もあるが、いずれにしても頼朝の子ではない。

念のため、ドラマで鈴木京香が扮していた後白河法皇の愛妾丹後局は同名の別人である。

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