人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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寒川町にもある梶原景時の屋敷跡

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2022/04/18 14:54

衝撃的な展開となった17日の「鎌倉殿の13人」。頼朝軍で最大の勢力を持っていた上総広常を討った梶原景時のルーツは以前紹介したように鎌倉市梶原で、ここにはその屋敷もあったとみられるが、今の神奈川県寒川町にも梶原景時の屋敷があった。というのも、景時は頼朝から寒川町に所領を賜っていたからだ。

JR相模線の寒川駅で降りて、南西に10分ほど歩いたところにある一之宮天満宮が梶原景時の屋敷跡といわれている。『吾妻鏡』にも梶原景時の所領は相模国一宮にあったと書かれており、この付近が梶原一族の所領であったことは間違いない。相模一宮とは寒川神社のことである。

すぐ近くには「伝梶原氏一族郎党の(七士)墓」という史跡もある。

「一族郎党」「(七士)」と併記してあるのは、梶原一族が駿河で討たれた後、残った家族や家臣たちが弔ったものとも、一時信濃に逃れていた7人の家臣が、梶原氏復権と所領安堵を願い出たものの許されず自害したものともいい、はっきりしないからだ。

源平合戦を扱った芝居では悪役とされ、「鎌倉殿の13人」でも不気味な役柄を担わされている梶原景時。実際、御家人たちには人気がなかったようだが、鎌倉幕府草創期にはなくてはならない重要な人物だった。

 

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