人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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梶原景季と名馬磨墨

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2022/02/28 09:50

前回紹介した、東京・南馬込の萬福寺の境内入口には立派な馬の銅像がある。これは、名馬「磨墨(するすみ)」の像である。磨墨の持ち主は、梶原景時の長男源太景季。宇治川の合戦で佐々木四郎高綱と先陣を争った話は「平家物語」で有名で、高校の古文の教科書で読んだという人も多いだろう。

景季は宇治川合戦にあたり、源頼朝に名馬「生月(いけづき)」を所望したが断られ、代わりに「磨墨」を賜った。しかし、頼朝はこの「生月」を股肱の臣である佐々木高綱に与えたのだ。「生月」に騎乗する佐々木高綱を見て憤慨した景季に対し、高綱はとっさに「盗んできた」と嘘をついてその場を収める。

そしてこの二人が宇治川で先陣を争い、高綱は先行する景季に向かって「腹帯が緩んでいる。急流なので締めた方がよい」と声をかけた。感謝した景季だが、景季が腹帯を確認している間に高綱は宇治川に乗り入れ、見事に先陣を果たした。嘘をついてまで功名をあげるというのは卑怯な振る舞いのように見えるが、当時は「腹帯が緩んでいる」という虚言に騙される方がうかつ、という認識だったらしい。

萬福寺にあるのはこの磨墨の銅像で、寺から少し南に歩いたところには磨墨の墓といわれる磨墨塚もある。

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