人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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熊谷直実と敦盛最期

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2016/06/06 09:42

JR熊谷駅前にある熊谷直実の像

平忠度と並んで「平家物語」でその最期が有名なのが平敦盛だろう。敦盛は清盛の甥にあたり、都では祖父忠盛が鳥羽院から賜った「青葉」を受け継いだ笛の名手として知られていた。

一の谷の合戦の際、熊谷直実は、奇襲を受けて海上の船に逃げる平家方の武将に、「敵に後ろをみせるとは卑怯だ」と呼びとめて組みつき、馬から落とした。

いざ首を獲ろうとしたところ、自らの息子と同じくらいの年齢の公達であることに気がついて躊躇したが、敦盛から「汝がためにはよい敵ぞ。名のらずとも頸を取って人に問へ」(「平家物語」巻九)と言われ、さらに後ろから味方も駆けつけて来たことから逃がすわけにもいかず、その首を獲った。その後、腰につけていた錦袋に入っていた笛から敦盛であることがわかり、敵味方ともに涙したという。敦盛このとき弱冠17歳であった。

この場面は、後に能や文楽などでしばしば取り上げられ、歌舞伎の「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」もこれを題材としている。直実はその後も数々の武功をあげたが、やがて出家。その理由の一つとして、この敦盛の首を獲ったことがあげられることもある。

熊谷直実は、その名字のとおり埼玉県熊谷市を本拠としていた。桓武平氏の一族で、JR熊谷駅前には、馬に跨った銅像が建てられている。

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