人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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萬福寺の梶原景時の墓

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2022/02/21 10:00

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に、前回から梶原景時が登場している。しとどの窟に隠れていた源頼朝主従を見逃した逸話は有名で、この後頼朝に仕えて鎌倉幕府内で重要な地位を占めるようになる。しかし、義経と対立して死に追いやったこともあり、歌舞伎などでは悪役として描かれることが多い。

景時は、当時の坂東武士としては珍しく頼朝と和歌を交わすことができた他、源平合戦の戦地から詳細な報告を送ってくるなど、幕府創業という時期には欠かすことのできない有能な武士だった。ドラマ中でも冷静な武士という印象で描かれており、今後の義経との関わり方に注目したい。

さて、かなり先のネタバレを言えば、頼朝没後に景時は御家人達と対立し、駿河国清見潟(静岡市)で一族もろとも討ち取られてしまう。そもそも、今登場している坂東武士達の大半は非業の最期を遂げることになるのだ。

この梶原景時の墓が東京・馬込にあることはあまり知られていない。東急荏原町駅、またはJR大森駅からバスで10分ほど行った萬福寺前バス停で降り、少し歩いた住宅地の中に曹洞宗慈眼山萬福寺がある。源頼朝の命で梶原景時が建立し、のちに南馬込に移されたと伝えられ、境内の墓地に梶原景時の墓(五輪塔)がある。

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