日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
神奈川県に江戸時代の街道の本陣がいくつ残っているかご存じだろうか。神奈川県に東海道が通り、川崎宿から箱根宿まで9つの宿場があったが、残念ながら本陣は1つも残っていな…
先日所用で徳島を訪れた際、徳島市内にある県立阿波十郎兵衛屋敷を訪れた。この屋敷の主の阿波十郎兵衛とは、江戸時代前期に徳島藩の庄屋をつとめた板東十郎兵衛で、他国米積み…
14日の大河ドラマ「べらぼう」で田沼意次の死がナレーションで告げられた。足軽の子から1代で遠江相良藩5万7000石の藩主という大名となり、さらに老中として権力の中枢…
宿毛を歩いた後は、土佐くろしお鉄道で中村に戻って来た。四万十川の下流部にあるこの町は、かつては中村市といって高知県西部、幡多地方の中心都市だったが、平成の大合併で西…
先週紹介した、小野梓、林有造、岩村通俊、竹内綱らはすべて宿毛領主山内家の家臣で、土佐藩の陪臣であった。明治時代には薩長土肥といわれた新政府方の藩からは多くの人物が活…
今年のお盆は帰郷し、母校のホームカミングデーで講演を行った。そして、翌日は高知県の西の端、宿毛市を訪れた。 今では鉄道も通っていて便利だが、地元にいたころは道路事情…
先週田園調布にある古墳群を紹介したが、実は都内最大の古墳は港区にある。港区芝、東京タワーの近くにある芝公園の隣にこんもりと繁った小山がある。この付近が5世紀前後(4…
田園調布に古墳群があるというと、驚く人が多いだろう。そもそも東京23区内に古墳があると知っている人は少ないし、ましてや高級住宅地の田園調布に古墳がいくつも残っている…
大河ドラマ「べらぼう」では、田沼意知が佐野善左衛門によって殺され、意次も苦境に立たされる。まもなく意次は失脚し、かわりに老中として政治を司るのが松平定信である。 陸…
先週の大河ドラマ「べらぼう」は、佐野善左衛門政言が殿中で田沼意知に斬りつけたところで終わった。今週は参議院議員選挙の開票速報のため放送はなく、その後の展開は来週に延…
弘南鉄道弘南線を津軽尾上駅からさらに進むと、終点の黒石駅につく。ここ黒石にも、県を代表する商家が残っている。 黒石はかつて黒石藩の城下町だった。江戸時代初期の明暦元…
あいかわらず、各地の旧家を訪ねている。今回訪れたのは津軽の旧家。津軽の旧家というと、太宰治の実家である金木(五所川原市)の津島家が有名だが、平川市猿賀にある国の名勝…
佐野氏歴代の墓所がある本光寺の所在地は佐野市田沼である。現在、田沼は佐野市の一部だが、平成大合併の前は田沼町という独立した自治体だった。そして、ここはその地名からも…
NHK大河ドラマ「べらぼう」に佐野善左衛門政言が登場している。今は穏やかに老いた父の介護をしているが、以前系図を田沼家に持参して投げ捨てられており、そろそろ次の展開…
さて、龍造寺氏に代わって肥前の領主となった鍋島氏も地元佐賀をルーツとする一族である。 名字の地は肥前国佐嘉郡鍋島(佐賀県佐賀市鍋島)で、宇多源氏佐々木氏の末裔という…