日銀総裁が植田和男さんに代わり、10日には就任会見も行われました。そこでは、いずれは正常化に向かうとしても(黒田東彦前総裁が採ってきた)大規模緩和路線を直ちに変えるものではないとコメント。金融市場も一時円安方向に振れましたが、23/4/17の昼前時点では概ね1ドル133-134円弱の水準で落ち着いています。
そのドル円相場ですが、2022年の春ごろから大きく動き、10月下旬には一時150円に達するなど波乱の相場となりました。折しも、日本ではロシアのウクライナ侵攻など政治的要因もあって物価高が話題となっており、そこに重なった円安に対して「悪い円安」という見方が散見されました。では、ここで改めて「円安の功罪」について振り返ってみましょう。
※本記事は『最新版 本当にわかる為替相場』(尾河眞樹著)の一部を抜粋・編集したものです
2022年は、年初来38円50銭もの円安が進行するなかで、いよいよ「日本売りだ」「通貨危機だ」と、あたかも日本のあらゆる資産がタタキ売られるかのような、不安を煽る論調が散見されるようになりました。
しかし、ここは少し冷静になって考える必要があると思います。
円安・円高について、「どちらが日本にとってプラスか」という質問をよく受けますが、立場によって為替レートの変動から受ける影響は異なりますから、一括りにするのはむずかしいというのが正直な回答です。
たとえば、輸出企業の価格競争力が強まることから、円安は日本にとってプラスであるといわれます。しかし、その一方で、日本は原油や鉄鋼などの資源を輸入に頼らざるをえず、円安は輸入物価を押し上げることから日本にとってむしろマイナスであるという意見も聞かれます。
とくに、今回のように円安のスピードが速すぎると、輸入物価の上昇をすぐに製品の価格に転嫁することはむずかしく、製造業にとっても一部マイナスの面もあるといえるでしょう。まず、円安のメリットから説明しましょう。海外で1ドルで売っている日本製品の円換算売上が120円になるか95円になるかは、製造業の収益にとって重要であることは、イメージしやすいと思います。
日本の製造業は、為替レートの影響を受けやすいことから、海外生産を増やすなどして、為替が業績に及ぼすインパクトを最小限にとどめるような工夫をしてきました。この結果、円高方向の耐性は強くなりましたが、反対に2022年は大きく円安が進んだにもかかわらず、そのメリットを以前よりも受けにくくなっているという面があります。
もうひとつの円安メリットは、「インバウンド効果」です。円安によって、多くの外国人観光客が日本を訪れて消費すれば、日本経済にとってはプラスです。これについても、新型コロナ感染症の影響によって、ここ数年メリットは感じにくくなっていますが、入国制限の緩和によって、今後はメリットが感じられるようになるでしょう。
また、円安によって輸入代替が進む点も、国内経済にとってはメリットです。輸入物価が上昇すれば、安くて安心な国産の製品を購入しようというインセンティブが働きます。たとえば、フランスのワインは高すぎるので、国産のワインを買おうか……などとなるわけです。これは主には農業分野などにメリットがありそうです。
加えて、重要なメリットとしては、所得収支の改善が挙げられます。経常収支の構成要素である、「第一次所得収支」とは、海外への投資から得られる利息や配当金を指しますが、いまや日本の経常収支のほとんどを所得収支が占めている状態です。日本は「海外にモノを売って稼ぐよりも、海外への投資で稼いでいる国」ともいえるのです。
こうしたなか、本章で説明した生保の運用や年金基金の運用などに関しても、円安のほうがプラスであることは明らかです。ただ、このメリットも、一部の機関投資家の運用担当者や、外貨建ての投資信託や外貨預金を保有している個人でないと、日々の生活においてはなかなか感じにくいといえるでしょう。
一方で、デメリットは、輸入物価の上昇が最も大きいといえます。輸入物価の上昇は、たとえばガソリン価格やエネルギー価格の上昇などを通じて、幅広く消費者物価に影響を及ぼすため、家計への直接的なインパクトが早期に出やすいところが特徴です。
ただ、注意しなければならないのは、2022年前半の輸入物価上昇は、その半分以上が原油価格の上昇によるもので、ウクライナ危機の影響が大きかったという点です。その後円安がさらに進むなかで、為替の影響も次第に大きくなっていきましたが、物価上昇の要因が円安だけであるかのような報道には、若干違和感を覚えます。
日本では賃金が上昇しておらず、物価上昇によって実質ベースの賃金は下がってしまうので、家計にとって厳しくなるのは当然です。円安批判の声が大きくなるのはこのためです。
2022年の大企業の夏のボーナスは増加率が過去最高だったと報じられていますが、ボーナスは一時的な対応であり、継続的な「ベースアップ」にはつながっていません。これには、日本が正社員の終身雇用に軸足を置いた硬直的な雇用環境となっていることなどが背景にあるといえるでしょう。
為替の経済への影響は、直接的な影響と間接的な影響があることも、大事な点です。直接的な影響とは、これまで見てきたとおり、輸出企業や輸入企業など、為替の変動が直接業績などに影響を及ぼすケースですが、たとえば円安によって企業業績が改善したり、株価が上昇し、インバウンド等も増えたりするなどすれば、景況感(マインド)が改善し、消費が増えるという間接的な効果もあります。
身近な例でいうと、イタリアンレストランを経営している友人がヨーロッパからワインを幅広く輸入しているのですが、「円高のほうが良いですか?」と聞いてみたところ、「急激な円高には、良いワインが安く仕入れられる直接的なメリットがあるのも確かだけれど、株安や景気への不安から、お店の来客自体が減ってしまう間接的デメリットのほうが大きい」と言っていました。
思い出してみると、2021年初は1ドル=102円台まで円高が進み、ドル円が近々100円を割るのではないかと、円高による景気への悪影響が不安視されていました。それからたったの約2年で、円安に対する懸念の声に変わったのは、日本がいかに為替の影響を受けやすい経済構造であるかということを如実に表していると思います。
大事なのは、円安や円高の是非よりも、海外から日本への長期投資を促すような成長戦略や、国内経済を強くするための構造改革ではないかと個人的には考えています。
著者プロフィール
尾河 眞樹(おがわ・まき)
ソニーフィナンシャルグループ(株)執行役員兼金融市場調査部長 チーフアナリスト。ファースト・シカゴ銀行、JPモルガン・チェース銀行などの為替ディーラーを経て、ソニー財務部にて為替リスクヘッジと市場調査に従事。その後シティバンク銀行(現SMBC信託銀行)で個人金融部門の投資調査企画部長として、金融市場の調査・分析を担当。2016年8月より現職。テレビ東京「Newsモーニングサテライト」、日経CNBCなどにレギュラー出演し、金融市場の解説を行なっている。主な著書に『ビジネスパーソンなら知っておきたい仮想通貨の本当のところ』(朝日新聞出版)、『富裕層に学ぶ外貨建て投資』(日経ビジネス人文庫)などがある。ソニー・ライフケア株式会社取締役。ウェルスナビ株式会社社外取締役。