日本におけるDX(デジタルトランスフォーメーション)への取り組みは、先進企業においてもいまだ初期段階にあります。ましてや多くの中堅・中小企業では、その必要性も認識されていないのが現状です。その原因のひとつに「レガシーシステム」の存在があります。

DXとは何か

DXという言葉を聞く機会が増えてきました。DXとは「デジタルトランスフォーメーション」の略語で、文字通り訳せば「デジタル化による構造の変化、再編、改革」となります。エリック・ストルターマン教授(スウェーデン・ウメオ大学)が2004年に提唱した概念です。ただし、ビジネス用語としてはしっかりとした定義が定着しているとはいえず、人によってさまざまな解釈がなされているのが現状のようです。

『勝ち残る中堅・中小企業になる DXの教科書』(野口浩之/長谷川智紀・著、以下同書)によれば、DXとは以下のように定義されます。

「多くの経営者が、将来の成長、競争力強化のために、新たなデジタル技術を活用して新たなビジネスモデルを創出・柔軟に変化し続けること」

つまり単なるIT化、デジタル化とは一線を画す取り組みなのです。

足枷となる「レガシーシステム」

経済産業省は2018年に発表した「DXレポート」で、「DXを含めた業務改革を企業が断行できなければ、2025年以降、日本経済において年間で最大12兆円の経済損失が生じる可能性がある」と報告しています。この危機感は、産業界において共有されているのでしょうか。

ここに来て、いわゆる先進企業・大企業でのDXへの取り組みは私たちの目に触れるようになってきました。しかし、その多くはまだ初期の段階にあります。そして、一般的な中堅・中小企業ではその必要性さえも認識されていないのが現状です。

「DXレポート」は、企業のDX対応が遅れている原因について、いわゆる「レガシーシステム」の存在を指摘しています。

レガシーという言葉は、ITの世界では「時代遅れの老朽化したシステム」というネガティブな意味で使われます。レガシーシステムは、一般的には20年~30年も前につくられたメインフレームやオフコンをベースとした自社運用型のシステム、また一昔前のパッケージソフトを指します。

しかし日本の産業界には、特異ともいえる象徴的なレガシーがあります。

それはファックスです。同書で指摘されている問題点を見てみましょう。

(以下『勝ち残る中堅・中小企業になる DXの教科書』第1章より抜粋)

ファックスこそ日本の技術的負債

これだけインターネットやITが普及しているなかで、実は中小企業の受発注はいまだにファックスが主流を占めていると言ったら驚かれるでしょうか。ひょっとしたら読者のみなさんの会社でも、一部でファックスを使っている場合があるかもしれません。

中小企業において、日本のサプライチェーンはいまだにファックス中心だといっても過言ではありません。日本からファックスをなくしたら、ビジネスが止まるかもしれません。ファックスの利点は確かにありますが、商取引で今後もアナログを続けるならば、膨大な無駄が解消できず、日本経済の生産性は上がらないでしょう。

なぜなら、ファックスを受け取った側が最新の受発注システムをもっていても、誰かが手作業でデータを入力しなければならないからです。そのとき、ミスも起きるかもしれないし、そもそも内容がわからなくていちいち確認するなどの作業も出てきます。

「DXレポート」では、レガシーシステムの維持管理費が将来的に高額化することを「技術的負債」と呼んでいますが、レガシーシステムどころかファックスこそ日本の技術的負債ではないでしょうか。

EDIも普及が遅れている

2016年度版『中小企業白書』によると、紙ではなくEDIというネットを介した商取引を利用している中小企業は2013年度で全体の約55%でした。残りの45%はまだファックスか電話などによるアナログの取引を行なっているのです(下図)。

『勝ち残る中堅・中小企業になる DXの教科書』35ページより転載

もっと細かく見ていくと、年間事業収入が1~20億円の製造業で、「1割未満の販売先としかEDIを利用していない」企業は、約6割に達します。また、「1割未満の調達先としかEDIを利用していない」企業は8割弱にもなります(中小企業向け生産管理システムを開発販売するエクス社が2014年度経産省「情報処理実態調査」を加工したデータより)。

1割未満ですから、おそらくEDIを行なっている販売先と調達先が1社もないという企業が多く含まれるはずです。

一方、『中小企業白書』によると、EDIの効果として、業務改革や業務効率化に役立っていると答えた中小企業が約79%、売上の拡大につながったという中小企業が約36%にのぼります。EDIに取り組むだけで、これだけの成果が上がるのです。EDIはDXの初期段階として導入するにはわかりやすい仕組みといえます。

花王の「我慢」

「まだまだファックスで充分。EDIなんてもう少し先でいい」と考えている中小企業経営者がいるとすれば、次に記す花王の決断には青ざめるかもしれません。

花王の子会社で、業務用の洗剤やアメニティ用品を製造・販売する花王プロフェッショナル・サービスは、レストランやホテル、病院など販売先に対してファックスによる受注を廃止することに決定。19年度までは東京を中心に実施し、20年度からは全国に拡大する予定です。

同社の取引先は約5000で、かなり以前からEDIによる受注を受け付けていましたが、それでも全体の6割がファックスによる注文のままでした。ファックスの受信枚数は1日なんと1400枚、社内システムへの入力作業をこれまでアウトソーシングしてきました。これらの取引先は同社にとってはお客様なので、おそらくじっと我慢してきたのでしょう。

しかし、ファックス内容を読み取ることができなかったり、白紙に商品名だけ書かれたものが送られてくるなどの問題があると、最終的には営業担当が確認していました。

さらに商品のリニューアルによって商品コードが変わると、入力時にコードエラーが出るなどの課題もありました。また従来、リニューアルのたびに商品コードを修正した発注書をつくり、取引先に持参するなど、手間と時間を取られていました。

ファックスは便利だが……

こうした事態に業を煮やした同社は、2017年から中小企業庁が公募する次世代企業間データ連携調査事業を利用して実証実験を始めました。インフォマートが提供する「BtoBプラットフォーム受発注」というサービスを活用して、取引先のEDI移行を実証しようというわけです。

その枠組みでは「中小企業共通EDI」を活用しました。中小企業共通EDIとは、中小企業庁がITに不慣れな中小企業でも低コストで簡単にEDIを導入できるように標準化した仕組みです。花王としても、顧客に負担を強いてEDIを導入させることはできないので、導入コストはゼロで、使いやすいシステムを構築しようとしたのです。

実証実験はうまくいき、現在では花王の取引先は、パソコンやモバイル端末から簡単に発注可能となり、花王側の手間も大幅に削減されるウィンウィンの状況になりました。花王の報告書では、ファックスの利便性を認めつつも、この試みの意義をこう書いています。

「昨今のネット通販やスマートフォンアプリを活用したビジネスモデルが活況を呈している状況を鑑みれば手の打ちようはあると思う。革新的なアイデアと、それを活用して経営基盤を強化したいと願う経営者とが出会えば『仕事の仕方』は変わるであろう。そのような状況をBtoCの世界に習い、BtoBの世界にもいち早く普及させる為の本実証検証は意味のあるトライアルであると評価したい」

つまり、消費者向けのITビジネスがこれほど盛り上がっているのだから、それに倣って社の仕事の仕方や、企業同士の取引も変えていこうと言っているわけです。これは、本書でもみなさんにお伝えしたいことの一つです。

今後、花王のようなファックス廃止は増えていくでしょうし、その顧客ならまだしも、仕事を受ける側であれば、「EDIに対応しない限り、取引を中止する」と宣言されてもおかしくありません。

アナログが楽だからと甘えていて、相手企業に大きな負担を強いていることも考えないと大きなしっぺ返しを食うことにもなりかねません。むしろ、そのようなリスクを心配するより、DXなどITや技術をうまく活用することで、事業や会社がより発展することを考えるべきでしょう。


著者プロフィール

野口浩之(のぐち ひろゆき)
青山システムコンサルティング(株)代表取締役。慶應義塾大学経済学部卒業後、中堅の独立系システム開発会社に入社、システムエンジニア・プロジェクトリーダーなどを担当。その後、青山システムコンサルティング株式会社に入社し、コンサルタント職に就く。IT戦略策定からシステム化計画、システム開発、保守運用にいたる幅広い知識と経験を活かし、企業の業務やIT環境を最適化するコンサルティングに多くの実績をもつ。共著書に『業務効率UP+収益力UP 中小企業のシステム改革』(幻冬舎メディアコンサルティング)がある。

長谷川智紀(はせがわ とものり)
青山システムコンサルティング(株)シニアマネジャー。筑波大学大学院図書館情報メディア研究科修了後、外資系コンサルティング会社および大手アパレル企業の情報システム部門で経験を積む。システムを軸にした課題解決を多くの中堅・中小企業に提案したいとの思いから、青山システムコンサルティング株式会社に入社。クライアントに近い立場で業務改善を主軸にしたコンサルティングを行なっている。その他、セミナーなどの講演活動も多数実施。