日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/07/07 10:53

岩村駅からさらに明知鉄道に20分ほど乗ると終点の明智駅につく。ここは、平成16年に岩村町などとともに恵那市に合併するまでは明智町という独立した自治体だった。明治・大正期には養蚕・製糸産業で栄えたことから当時の建造物なども残っており、現在は「大正村」と銘打って町全体を一つの博物館に見立てた観光客誘致を行っている。

また、「明智光秀ゆかりの地」という看板もあるなど、明智光秀に因んだ活動もしているようだ。しかし、ここにある城は明知城といい、遠山7家の一つ明知遠山氏の居城だった。そもそも明智町も発足当時は明知町で、戦後の合併で明智町となったものだ。そのため、明智駅も国鉄時代は明知駅だった。

実は岐阜県内に明智駅はもう1つある。名鉄犬山駅から新可児駅を経て御嵩駅に至る広見線という路線がある。ただし、新可児駅を境に直通はなく、新可児駅から御嵩駅までの間は現在廃線の話が進んでいる。

実際乗車してみると新可児駅には中間改札があり、その先では交通系ICカードが使えないだけでなく、車内では新札の両替もできないなど、全く設備投資をしていないことがわかる。それでも沿線には複数の高校があり、それなりに利用者はあるようにも見えた。
さて、新可児駅の次の駅が明智駅である。1駅とはいえ3.5kmもあり結構遠い。こちらの明智駅から南に15分程歩いたところに明智城址公園があり、ここから山頂の明智城址まではすぐ。本丸跡には光秀の銅像も建てられている。


ここは清和源氏土岐氏庶流の明智氏の居城で、戦国時代に斎藤義龍に敗れて落城するまで200年ほど拠っていた。なお、光秀はこの明智氏の一族とはされるものの関係ははっきりせず、出生地などはわからない。因みに、こちらの「明智」も古い史料には「明知」と書かれており、ともに「知」から「智」に変化している。