人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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「麒麟がくる」で光秀=天海説を採用?

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2021/02/08 10:01

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

7日に放送された大河ドラマ「麒麟がくる」の最終回。本能寺の変までは予想通りだったが、そこからが予想外の展開となった。本能寺の変以降の光秀がほぼ描写されなかったのだ。主人公の最期を描かなかった大河ドラマは珍しい。

光秀には「実は生きていた」という説はいくつかあり、そのなかで最も有名なのは、のちに徳川家康に仕えて幕府の基礎を築いた天海になったという「光秀=天海説」だろう。歴史学者の間では完全に否定されている説だが、これを扱った歴史小説は多く、放送中のtwitterなどでも「光秀=天海説か」という書き込みが多くみられた。

実は、光秀以外にもこうした「実は生きていた」とされる著名人は多く、その子孫を名乗る家もしばしば登場する。豊臣秀頼は大坂城が落城した後に薩摩に逃れ、鹿児島市には秀頼の墓があるという。また、豊後立石で5000石を領した交代寄合の木下家の祖は、秀頼の遺児国松であるという伝説がある。

こうした中で、確実とされるのが石田三成の末裔という津軽の杉山家だ。三成の二男源吾は関ヶ原合戦で敗れると津軽に落ちて杉山氏を名乗り、深味村(青森県北津軽郡板柳町)に住んで藩主津軽家に匿われた。その子吉成は、のちに3代藩主信義に召しだされて津軽藩の家老となっている。

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