人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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松平定信と霊巌寺

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2025/07/29 00:02

大河ドラマ「べらぼう」では、田沼意知が佐野善左衛門によって殺され、意次も苦境に立たされる。まもなく意次は失脚し、かわりに老中として政治を司るのが松平定信である。

陸奥白河藩の財政を立て直して名君として知られていた定信は、老中になると寛政の改革を推し進めた。しかし、改革は一定の成果をあげたものの、あまりにも厳しすぎたことから幕閣や庶民の怨嗟を集めることになる。

この松平定信の墓所は深川の霊巌寺にある。霊巌寺は江戸時代初期に日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島に創建されたもので、明暦の大火で焼けたことから現在地に移転した。境内には定信の他にもいくつかの大名家の墓所がある。

霊巌寺
松平定信墓所

さて、この霊巌寺のある場所は、東京都江東区白河1丁目である。この「白河」という地名は、昭和になってから定信が藩主をつとめていた白河藩に因んでつけられたものだ。

古地図をみると、霊巌寺のすぐ西側には旧関宿藩主久世大和守の下屋敷がある。この屋敷は明治になると持ち主が転々としたのち三菱の岩崎家が買い取り、庭園として整備した。そして、関東大震災後に当時の東京市に寄付、現在は清澄庭園として公開されている。

清澄庭園

そして、霊巌寺の北側の小名木川沿いにあるのが、時代小説にしばしば登場する海辺大工町。舟大工が多く住んでいたことからついた地名である。

 

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