人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

田安賢丸の田安家とはどういう家か

このエントリーをはてなブックマークに追加

2025/02/04 10:03

(画像はNHK公式サイトよりキャプチャ)

大河ドラマ「べらぼう」に田安賢丸という名家の若君が登場している。寺田心が演じて話題なっている。この田安家とはどういう家なのだろうか。

江戸時代の将軍家は徳川家である。徳川家康はもともとは「松平」という名字を名乗っていたが、永禄9年(1566)に「徳川」に改めた。しかし、この時に「徳川」を名乗ったのは家康のみで、一八松平といわれる多くの一族は「松平」のままだった。

江戸時代になっても「徳川」を名乗れたのは尾張家、水戸家、紀伊家の御三家のみ。それ以外の一族や、御三家の分家も名字は「松平」であった。つまり、将軍家を継げるのは御三家しかなかったのである。

そして、将軍家の嫡流は7代家継で断絶し、8代目は紀伊家から吉宗が継いだ。吉宗の子9代目家重は病弱であったことから、家系の断絶を恐れた吉宗は、みずからの子と孫に一家を興させ、一橋家、田安家、清水家という御三卿を新たに創設した。

万一後継ぎがいなくても、他家(尾張家や水戸家)には渡さない、ということである。実際、10代家治のあとは一橋家から家斉が継ぎ、以後もその子孫が将軍となっている(15代慶喜は水戸家から一橋家を継いでいた)。

賢丸は8代将軍吉宗の孫という名門というだけではなく、幼少期から聡明で知られ、かつ極めて謹厳実直な人物だったらしい。清濁併せ呑む田沼意次とはそりが合わず、ドラマではその策謀によって陸奥白河藩の藩主に出されて「松平」となり、「将軍を継ぐ可能性」を封じられている。

しかし、この後老中松平定信となって幕閣に復帰して寛政の改革を断行、蔦重とも大きなかかわりを持つようになる。因みに、15代慶喜の跡を継いだ16代家達は田安家の出である。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ