人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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井伊家と徳川家の関係

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2017/01/23 11:45

駿府城本丸跡にある家康像(photo by kada777/fotolia)

「おんな城主 直虎」は22日の放送で第3回を迎えたが、珍しくまだ子ども時代が続いている。
今回新たに登場したのが、井伊家から今川家の人質となっている佐名と、その娘・瀬名姫である。歴史に詳しい人だと、この時点でピンと来たと思うが、ネタばらしをすれば、この瀬名姫がのちの徳川家康の正妻・築山殿となる。

幼少時代に今川家の人質となっていた徳川家康は、12歳で今川義元の姪である瀬名姫(築山殿)を正妻として迎えた。しかし、築山殿は実の姪ではなく、一族の瀬名義広(関口親永ともいう)に嫁いでいた養女の娘。養女を「娘」として重臣や他国の大名に嫁がせるのは、この時代にはよくあることであった。

築山殿の実母は井伊直平の娘で、直虎からみると父の叔母。ということは、徳川家康は父のいとこの夫という関係にあたる。いずれ登場するであろう、井伊家の中興の祖・直政は、直親(亀之丞)の子ども。直虎とは父同士が従兄弟であり、直政にとっても徳川家康は父のいとこの夫である。

今川家に追われて流浪していた直政が、家康に見出されて井伊家を再興することができたのも、こうした血のつながりがあってこそのことであった。

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