人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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半蔵門の由来と服部半蔵

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2021/10/19 10:13

半蔵門

先日、地下鉄半蔵門駅近くでインタビューを受けた。そこで、少しは早めに行って半蔵門付近を散歩してみた。

半蔵門という駅名は皇居の半蔵門に因んでいる。半蔵門は江戸城にある門の一つで、大手門とは反対側に位置する搦手(からめて)門である。「半蔵門」は人名に由来しており、この門の警固を担当した旗本、服部正成・正就父子の通称「半蔵」に因んでいる(異説あり)。

服部半蔵というと忍者の頭領というイメージが強い。確かに服部半蔵正成の父は伊賀の出で、父の代に三河に転じて徳川家康に仕えていた。

本能寺の変後、家康が伊賀越えをして帰国する際、正成は先祖の地である伊賀の地侍と交渉して、家康主従を無事に通過させた。これを機に伊賀武士は家康の配下となり、江戸時代になると伊賀同心と呼ばれるようになる。

そして正成がこの伊賀同心達を支配して半蔵組といわれたが、正成はあくまで指揮する旗本であり、服部半蔵本人は忍者ではない。それどころか、正成の後を継いだ半蔵正就は伊賀同心達とトラブルを起こして伊賀同心支配を離れ、のちに大坂の陣で討死した。

服部家は正就の弟の正重が継ぎ、子孫は桑名藩の重臣となって幕末まで続いている。

代官町通りから見た半蔵濠

 

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