人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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萩の城下町と豪商菊屋

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2025/04/08 10:03

仙崎を訪れたあとは長門湯本温泉で1泊し、バスで萩に向かった。

萩は橋本川と松本川(阿武川)に挟まれた三角州の上に出来た街である。南東から流れて来た阿武川は萩駅の東方で2つに分かれ、その間に大きな三角州を形成した。江戸時代初期までは、三角州の東北の海辺の高所にわずかな集落と寺院があっただけで、その他はアシなどの生い茂った湿地帯だったという。

慶長9年(1604)、長州藩主となった毛利輝元が三角州の北西にあたる指月山に城を築いてから、三角州の中が開発されて城下町がかたちづくられた。今でも街中には多くの藩政時代の名残がある。

萩の城下町

城下町の中央、萩中央公園の西北には萩最大の豪商だった菊屋家の住宅がある。菊屋家はもとは大内氏の家臣で、初代友味は毛利輝元の入国に伴って山口から萩に移り住み、「菊屋」の名字を与えられて萩の町割りを命じられた。以後代々孫兵衛を称して長州藩の御用商人となり、大年寄格でもあった。

菊屋家

萩城跡から萩湾に沿って続く名勝菊ヶ浜も、菊屋が藩士や足軽のための家を建てて住まわせたことから、菊屋が浜から菊ヶ浜と呼ばれることになったという。

菊ヶ浜から指月山を望む

菊屋家の屋敷は藩の賓客をもてなす迎賓館のような役割も担い、広大な屋敷地に主屋はじめ数多くの蔵などが現存している。そして、主屋、土蔵造りの本蔵と金蔵、米蔵、釜場の5棟が国の重要文化財に指定されている。

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