人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

毛利氏発祥の地を訪ねる

このエントリーをはてなブックマークに追加

2010/03/01 11:30

先日再び厚木市に行き、今度は毛利一族の発祥の地を訪ねてきた。場所的には、愛甲発祥地のすぐ北側である。

毛利氏は戦国時代に中国地方を制圧した大大名で、江戸時代には長州藩の藩主だった。そのため、毛利氏のルーツは中国地方にあると思っている人が多いが、西国の武家には関東地方をルーツとする一族はかなり多い。毛利氏もその1つで、発祥地は相模国愛甲郡毛利、今の神奈川県厚木市の毛利台・下古沢一帯にあたる。

毛利氏の先祖は、朝廷で学問を担当する貴族だった大江氏。鎌倉時代初期、没落気味だった大江一族の分家の大江広元が源頼朝に仕えて鎌倉に降り、幕府成立に大きな力を発揮した。そのこども達は武士となって各地に領地をもらい、相模国毛利に領地を貰った季光が名乗ったのが毛利氏である。

その後、新潟県や広島県にも新しい領地を貰って一族が移り住み、広島県に住んだ毛利氏が、戦国時代になって大名に発展したものだ。戦国大名毛利家は、毛利氏全体からみれば、実は分家の分家といった立場にある。

さて、この付近は厚木駅からもかなり離れており、かつては田園地帯だったが、近年都市化の波が徐々に押し寄せてきている。毛利季光の屋敷跡は三島神社という神社になっているが、なんと本堂には、まもなく売却される旨の張り紙がしてあった。



三島神社


境内には大きなクスノキがあり、その下には、「毛利氏発祥の地」という碑が建てられている。売却されてもクスノキと碑だけは残してほしい。



境内のクスノキ



「毛利氏発祥の地」石碑
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ