人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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下関の伊藤家

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2009/01/19 09:13

古書店で珍しい本を入手した。





「赤間関本陣伊藤家 海峡人物往来」という、B5サイズでは70ページほどの小冊子である。下関市立長府博物館が編集したもので、1991年に同館で開催された企画展の図録でもある。

赤間関(下関)の伊藤家の歴史は古い。鎌倉時代の初期、承久の乱後に京都から長門国の目代となって下向した伊藤左衛門尉盛成が祖という。盛成は、その名字からもわかるように藤原氏の一族で、子孫は長門国の在庁官人(地方官僚)として住み着き、やがてこの地の領主となった。

室町時代には薬店を経営した「亀屋伊藤家」と、大年寄・本陣をつとめた「本陣伊藤家」にわかれ、ともに下関を代表する豪商である一方、大内家や毛利家といった大名家の家臣としての地位もあったと思われる。

幕末の伊藤家を有名にしたのが、坂本龍馬との関係だ。土佐藩を脱藩した龍馬は、伊藤家と白石家を定宿として下関を拠点とし、長州藩の改革派と結んで活動した。京を逃れた妻のお龍も預けており、お龍が龍馬暗殺の報を聞いたのも伊藤家であったといわれる。

図録には豊臣秀吉の朱印状や、ヨーロッパのワイングラス、また九州の諸大名からの書状も多い。士農工商とはいいながら、江戸時代の豪商は、歴史も実力も並みの武士では太刀打できないことがわかる。
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