人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

沼田の旧家、生方家

このエントリーをはてなブックマークに追加

2024/04/16 10:05

群馬県沼田市には、旧家生方家があった。「生方」と書いて「うぶかた」と読む。この名字、他県の人にとっては難読だが、全国の約半数が群馬県にあるなど群馬県では比較的普通の名字で、とくに沼田市と渋川市に集中している。

県内には他にも「生形」など「うぶかた」と読む名字があり、「生方」はこれらの「うぶかた」名字の元になったものである。戦国時代にはすでに上野国利根郡川田(沼田市)に生方氏がいたことが知られている。

さて、沼田城址のある沼田公園の一角に旧生方家住宅があった。この生方家はかつて沼田城下で薬種商をつとめた豪商。もとは利根郡屋形原村(沼田市)の出と伝えるが、沼田城下に転じた時期は不明。城下の街角にあって「ふぢや」と号していたため、「かどふぢ(角藤)」と呼ばれるようになり、後に屋号として用いるようになったという。

薬種商らしい薬箪笥

同家29代目当主である誠(せい)は、沼田町長や初代国家公安委員を歴任するなど、沼田きっての名家だった。17世紀末頃に建てられた同家住宅は、昭和45年には国指定重要文化財となり、その後沼田市に寄贈されて沼田公園に移築された。さらに誠が生前収集した資料の書画(軸・額)や出土品なども沼田市に寄贈され、生方記念資料館として合わせて公開されている。

そして、その誠の妻が歌人生方たつゑである。たつゑは三重県伊勢市の旧家の生まれで、誠に嫁いでから短歌を始めた。読売文学賞や迢空賞を受賞するなど、戦後を代表する女性歌人である。市内にはたつゑを記念する生方記念文庫もある。

このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ