人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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武田信玄と諏訪大社

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2020/11/30 11:23

諏訪大社上社本宮

29日の「麒麟がくる」には武田信玄が登場、信玄の後ろには「諏訪大明神」という文字が見えた。信玄は軍神として諏訪大明神を信仰していた。

諏訪大社は上社と下社からなり、その距離はかなり離れている。上社は諏訪湖の南にあって茅野駅が最も近く(歩くと遠い)、諏訪湖北側の下社は2駅先の下諏訪駅から歩いて行ける。そして、上社は前宮と本宮、下社は秋宮と春宮に分かれ、計4社を合わせた総称が諏訪大社である。この4社に社格の違いはなく、どこから参拝してもいいという。

諏訪大社下社春宮

諏訪大社の歴史は古く、「古事記」では大国主神の次男である建御名方神(たけみなかたのかみ)が出雲の国譲りに反対して建御雷神と戦ったが敗れ、諏訪に逃れて土着したとあり、「日本書紀」には持統天皇が勅使を派遣したと書かれている。両社とも本殿がなく、上社は御山を、下社は御神木を本体としているなど、古い信仰の形を今に残している。

ところで、建御名方神が諏訪に来た際、土着の神である洩矢神(もりやのかみ)が戦いを挑んだが敗れ、諏訪を建御名方神に譲り渡したと伝える。この建御名方神の末裔が戦国大名諏訪氏で、洩矢神の子孫は守矢氏となって代々上社の神職「神長官」をつとめた。

神長官守矢史料館
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