人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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諫早と大村

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2026/05/26 10:19

上小路

島原半島を歩いた後は、諫早に戻って諫早城址へ。ここは南北朝時代には伊佐早氏の居城で、戦国時代に肥後菊池氏の一族である西郷氏が伊佐早氏を滅ぼして城主となった。その西郷氏も豊臣秀吉の九州入りで所領を失い、江戸時代の諫早は龍造寺氏の末裔で佐賀藩重臣となっていた諫早家の所領となる。

諫早城は現在は諫早公園として整備されており、本丸跡近くに巨大なタプノキがあった。タブノキは漢字では「椨」と書くのだが、名字では本来ヤブニッケイを指す「天竺桂」と書いて「たぶのき」と読む。

最後は空港のある大村へ。大村は鎌倉時代から幕末まで一貫して大村氏が支配したという珍しい場所だ。名字も「大村」のため名字の地も大村市だとされていたが、実際には肥前国藤津郡大村方(佐賀県鹿島市)らしい。

戦国時代、大村純忠は長崎を支配していたことから南蛮貿易によって莫大な利益を得ていた。また日本初のキリシタン大名としても有名で、天正少年使節を欧州に派遣したことでも知られている。大村氏は江戸時代も引き続き大村藩2万7900石の藩主を務めた。

その居城玖島城址は現在大村公園として整備され、本丸跡は大村神社となっている。また、城の東側の上小路にはかつての重臣の屋敷が立ち並んでいる。

大村城址

市内古町の本経寺に大村家の墓所がある。純忠の子喜前は、徳川幕府のキリスト教禁制の動きによって藩を存続させるために日蓮宗に改宗し、仏教復興の中核として大村家の菩提寺本経寺を建立した。

そして、禁教令の中で仏教信仰をより明確に示そうとする宗教政策により、3万石に満たない小藩とは思えない立派な墓所をつくりあげた。なかでも、7代純富の五輪塔は高さ6.95メートルという巨大なものである。

墓所
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