日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/05/19 10:09

神代小路をあとにして島原鉄道で島原に向かう途中、大三東駅で下車した。大三東駅は予讃線の下灘駅とともに日本一海に近い駅として有名だ。駅のすぐ裏は有明海。屋根や柵すらない開放的なホームは直接有明海に洗われており、「有明海に落ちないように」という注意書きも書かれている。干潮時にはかなり沖まで干上がってしまう遠浅のため、落ちても溺れることはなさそうだが。
この大三東駅で有名なのが黄色いハンカチだ。ホームに設置されているガチャガチャで専用の黄色いハンカチを購入し、願い事を書いて駅の柵に結びつけることができる。

さて、島原鉄道は以前は加津佐駅まで延びていたが、2008年に島原外港駅~加津佐駅間が廃止され、現在は島原港駅(島原外港駅が改称)までとなっている。終点3つ手前の島原駅で降りて市内を散策した。戦国時代、島原はキリシタン大名有馬晴信の所領だった。関ヶ原合戦後松倉重政が4万石で入封して島原藩を立藩。重政はキリシタンを厳しく弾圧、さらに跡を継いだ勝家が苛政をしいたことから島原の乱がおきた。
乱の鎮圧後、勝家は大名であるにも関わらず斬首となっている。以後、高力家、松平家、戸田家を経て、松平家が戻り、幕末まで8代にわたった支配した。
島原城の西北に武家屋敷通りが残されている。通りの中央には水路を引いて湧水を流し、両側にある山本邸、篠塚邸などいくつかの屋敷が公開されている。また新町一帯はとくに湧き水が豊富で水路に鯉が放流され、「鯉の泳ぐまち」と言われている。


街の南の郊外のは白土(しらち)湖がある。寛政4年(1792)普賢岳の噴火に伴う地震で眉山が崩壊、いわゆる「島原大変」が発生した。この時に生じた陥没に地下水がたまった湖で、当初は南北1キロほどもある大きなものだったという(現在は200mほど)。日本で最も小さな陥没湖とされ、現在も1日4万トンほどの湧水が湧き続けている。
