人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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島原の乱に関する新資料の発見

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2017/05/15 15:40

島原教会(photo by japal/fotolia)

5月11日の東京新聞に面白い記事が掲載されていた。それによると、南島原市教育委員会が、島原の乱で荒廃した島原半島の復興のために、阿波国(徳島県)から多くの人が移住してきたことを示唆する文書を発見したと発表したという。

江戸時代初期に起きた島原の乱では、領民37,000人が犠牲となり、島原半島の一部では無人化したところも多かった。そのため、幕府は九州各地や香川県小豆島から多数の農民を移住させたというが、島原藩主が頻繁に交代したことから資料が散逸し、これまではっきりしたことはわからなかった。

記事によると、南島原市の口之津歴史民俗資料館に収蔵されていた七条家の「南蛮流医薬書」の裏紙にも記述があることに気が付き、調べたところ阿波の検地帳であることを発見。同家に伝わっていた阿波から来たという伝承を裏付けることができたという。

確かに、阿波の七条家は徳島県板野郡上板町七条をルーツとする国衆の末裔で、江戸時代は有力農民であったと思われる。実は、島原には土佐からも移住していたらしく、私のもとにも島原の方から、土佐から移り住んだという伝承があるが本当だろうか、という問い合わせが来たこともある。

島原半島は長崎県の中でも名字の構成が違っている。名字の点からもなにか解明できるかもしれない。

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