日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/02/17 10:31

先週紹介した方広寺には、東大寺の大仏よりも大きな大仏があったことはあまり知られていない。そもそも方広寺はこの大仏を安置するためにに建てられたものである。
豊臣秀吉は松永久秀の焼き討ちにより焼失した東大寺の大仏に代わる新たな大仏を京都に建立することを決め、天正19年(1591)に工事が開始、文禄4年(1595)に完成した。秀吉らしくその規模は東大寺の大仏(約15m)よりも大きく、6丈3尺(約19m)もあったという。
当初は銅造として計画されたが、完成を早めるために木造でつくられていた。ところが、木造であったことから翌年に起きた慶長伏見地震によって開眼前の初代大仏が損壊してしまう。
江戸時代になって豊臣秀頼が2代目大仏として、銅製大仏および大仏殿を再建した。このとき造られた梵鐘の銘文にあったのが、「国家安康」「君臣豊楽」という言葉である。
その後、17世紀半ばに起きた2度の地震で2代目大仏も崩壊し、3代目大仏が建立。その3代目も、寛政10年(1798)の落雷による火災で焼失し、幕末の安政年間に上半身だけの4代目の大仏が建立された。
そして、この大仏は昭和48年に再び火災で焼失するまで現存していた。今年の「京の冬の旅」では、かつての大仏の10分の1の盧舎那仏坐像などか公開されている。
今ではその面影は全くないが、豊国神社の東隣に大仏殿の台座跡などが見つかり、現在は大仏殿跡緑地公園となっている。また、三十三間堂前の大和大路七条交差点にある交番は「大仏前交番」であるなど、「大仏」は京都の町に今も生き続けている。