人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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紫香楽宮のこと

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2019/10/16 09:13

(photo by キャプテンフック/Adobe stock)

先週に続いて信楽について。「しがらき」というとタヌキの置物で知られる信楽焼が有名だが、古代史に詳しい人だと「紫香楽宮(しがらきのみや)」を思い浮かべる人も多いだろう。

紫香楽宮は、奈良時代に聖武天皇が造営した都の1つである。「紫香楽」という漢字は、都にするにあたって「しがらき」という言葉に佳字をあてたものだろう。なお、「しがらき」という地名の由来については、良材が茂っていたことから「茂る木」といわれたことに因むなど、諸説あってはっきりしない。

740年、藤原広嗣の乱が起こると、聖武天皇は平城京を離れて山城国に恭仁京(くにきょう,京都府木津川市)を造営したが、まだ恭仁京が完成しないうちに、近江国甲賀郡の紫香楽宮に転じたとされる。

そして、聖武天皇はこの地で東大寺大仏の前身にあたる盧舎那仏の造営に着手としている。しかし、甲賀の地は当時の政治の中心である大和国からはあまりにも遠かったせいか、まもなく紫香楽宮は廃された。

信楽地区には、都を連想させる「宮町」「勅旨(ちょくし)」「内裏野(だいりの)」といった地名がある。天皇の御所を指す「内裏」に因むとみられる内裏野には遺跡があり、古くから紫香楽宮跡とされて一時は国史跡にも指定されていたが、現在では寺院跡とされ、宮町にある遺跡が紫香楽宮跡とみなされている。

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