日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2025/10/28 10:53

秋田を巡ったあとは、多賀城の東北歴史博物館と、それに隣接する石巻市から移築された今野家住宅に。今野家は石巻市で代々肝入をつとめた旧家で、ちょうど中秋の名月の頃とあって邸内にはお供え物が飾られていた。
このあとは福島県の相馬市を訪れた。相馬は中村藩6万石の城下町である。藩主は相馬家で、相馬藩ともいわれる。しかし、福島県の相馬は相馬氏の名字の地ではない。
もともとの地名は中村で、昭和29年に中村町が周囲の7村と合併した際に、相馬郡の郡名からとって相馬市としたものだ。そして、相馬郡という郡名も明治29年に宇多郡と行方郡が合併してできたもの。両郡は中村藩相馬氏の所領であったことから、それ以前から相馬といわれており、それを正式に郡名に採用したものだ。
つまり、相馬市の「相馬」は、相馬氏に因んでいる。地名と名字が一致する場合、多くは地名が先でそれに因んで名字が誕生しているが、福島県の相馬は逆で、相馬氏に因んで相馬郡や相馬市という地名が誕生した。
では、相馬氏の名字の地はどこかというと、下総国相馬郡(現在の茨城県)である。系図上では、平将門の子将国が常陸国信太郡に落ち、のち胤国の時に相馬郡に移って相馬氏を称したのが祖であるといい、のちに千葉常胤の子師常が相馬氏を継いだとする。
いずれにしても、初代師常は千葉氏の一族で、父とともに源頼朝に仕えて奥州征討に功をあげて、新たに陸奥国行方郡に所領を与えられた。
以後相馬氏は下総相馬氏と陸奥相馬氏の2流にわかれ、陸奥相馬氏の末裔が中村藩主の相馬家である。
その居城中村城は馬陵城ともいわれ、本丸跡には相馬神社が建てられている。

