フランスの高校卒業試験であるバカロレアでは、「哲学」が必須科目として設けられています。大学でフランス現代思想を教える坂本尚志氏は、答えが一つでない問いを扱う哲学教育には、自分と異なる多様な価値観を持った人々と「対話」ができる人間が育つヒントがあるといいます。そもそも「バカロレア試験」とは何なのか? フランスの学生が哲学を学ぶ背景について、詳しく解説していきます。

※本稿は、『バカロレアの哲学 「思考の型」で自ら考え、書く』(坂本尚志)を一部抜粋のうえ再編集しています。

「バカロレアの代名詞」は哲学

バカロレア試験とは、フランスの高校生が卒業時に受ける試験です。合格すると、高校卒業と大学入学の資格を同時に取得できます。バカロレア試験では文・理系を問わず哲学が必須科目で、出題される問題は毎年多くのメディアで取り上げられ話題になります。21年の普通バカロレアの哲学の問題は以下の通りです。

  1. 議論するとは、暴力を断念することか?
  2. 無意識はあらゆる認識の形式から逃れているか?
  3. われわれは未来に責任を負っているか?
  4. デュルケーム『社会分業論』(1893年)の一節を説明せよ。

1.から3.がディセルタシオン(小論文)と呼ばれる問題形式で、この問いに対して論述形式で解答します。4.はテクスト説明と呼ばれるもので、15行から20行程度の哲学書の抜粋について、その構造と内容を適切に言い換えつつ説明することが求められます。試験時間は4時間です。

一体何をどうしたら高校生がこんな問題を解けるのか、という声が聞こえてきそうです。一文で出題されるディセルタシオンの問題形式には驚く人も多いでしょう。解き方については第2章、第3章で詳しく説明しますが、こうした一見とりつくしまもない問題形式にも解答の定石があるのです。よくできる生徒は、問題を見た瞬間に必要な作業を始めることができるでしょう。しかし、ここでまず注意しておきたいのは、フランスの高校生たちはこの問題をぶっつけ本番で解くわけではない、ということです。

彼らは高校3年生の1年間、哲学を必修科目として、週4時間の授業を毎週受けることになっています。さらに、「人文学、文学、哲学」という授業を選択した生徒は、高校2年生で4時間、3年生で6時間、哲学に関係する内容を学びます。このような授業で彼らは、哲学的なテーマや概念について学ぶとともに、ディセルタシオンやテクスト説明の解答の仕方を身につけていきます。ですから、問題の一文の背後には、1年間の訓練の成果を見せてみなさい、という出題者のメッセージが込められているとも言えるでしょう。

高校生はどんな哲学を学ぶのか?

ここで、フランスの高校生たちがどのような内容を学ぶか見ておきましょう。哲学教育の内容は、日本でいう学習指導要領のような「高等学校普通科最終級における哲学プログラム」によって決まっています。教科書はなく、教え方も教員の裁量に任されていますが、表1~3に掲げた「概念」「哲学者(著者)」「手がかり(対立概念や類似概念の組み合わせ)」が教えるべき内容とされています。

(本書P.32より)
(本書P.33より)

このように「学ぶべき内容」は細かく決まっています。これらの概念や哲学者(著者)について個別に学ぶのではなく、たとえば、ある著者の一冊の哲学書(全体あるいは一部)を教材に選び、そこに現れる概念や手がかりを横断的に学ぶ方法があります。また、それとは逆に、一つの概念に関係する哲学者たちの著作について系統的に学ぶという方法もあります。その中でディセルタシオンの書き方やテクスト説明の方法についても、個別の添削などによって徐々に理解していくわけです。

哲学教育は「哲学者を育てる」ためではない!

ですから、バカロレア哲学試験は1年間の学習の成果を評価するものであり、問いに対する当意即妙の受け答えや、文才を試すものではありません。解答の仕方も厳密に決められています。それは特にディセルタシオンの解法にはっきり見ることができます。そのディセルタシオンの解法こそが、この本で「思考の型」と呼ぶものなのです。

この「思考の型」は、学校で教えられるものです。生徒たちはこの「思考の型」をどれほどしっかりと身につけているかを、バカロレア哲学試験で試される、ということです。つまり、それは教授可能であり、学習可能である、ということです。

この「思考の型」がどのようなものであるかを知り、それを学べば、フランスの高校生でなくても、バカロレア哲学試験の問題にどう答えればいいかはわかります。それだけでなく、この「思考の型」は哲学試験に役立つだけではない、ということもわかるのです。

「フランス人はみんな哲学できる」は本当か?

ところで、もう一つのよくある誤解を解いておきましょう。それは、「高校で哲学が必修なのだから、フランス人はみんな哲学ができるはずだ」という誤解です。高卒認定の試験に哲学が存在するのだから、哲学でもそれなりの成績を取らないと合格できないはずだと考えるならば、フランス人はみんな哲学ができると言ってもいいように思えるかもしれません。

しかし実際には、そんなことはないのです。二つの理由によってそれを説明しておきましょう。一つ目はバカロレアの採点の仕組みです。日本の試験が大体100点満点で採点されるように、フランスの試験のほとんどは20点満点で採点されます。バカロレアも同じです。各科目が20点満点で採点され、10点以上が合格点となります。

20点満点で採点されたバカロレアの複数の科目は、それぞれの科目にあらかじめ定められた係数を掛け合わせた後に、20点満点で平均点が算出されます。この平均点が10点以上でバカロレア取得となります。ということはつまり、得意教科でよい成績を取っていれば、いくつかの科目が10点未満であっても、平均すれば10点を超えるので合格、ということになるのです。

哲学は、多くの受験生たちにとって弱点になっています。少し古いデータですが、2002年から2004年まで国民教育大臣も務めた哲学者リュック・フェリーと同じく哲学者のアラン・ルノーの1999年の著者によると、バカロレア哲学試験の平均点は20点中7点だということです。

普通バカロレアでは哲学試験の答案の47%が7点以下、そして71%以上の答案が10点未満ということです(7点は、問題や課題文が理解できていないというレベルです)。つまり、哲学試験の成績からすると、フランスの高校生の7割以上は哲学が「できない」のです。

二つ目の理由は、合格者数に関係しています。コロナ禍前の19年に実施されたバカロレア試験の合格者の同年齢人口(日本の18歳人口を想像してもらえばいいでしょう)に占める割合は、79.7%です。そのうち、普通バカロレアが42.5%、技術バカロレアが16.4%、職業バカロレアが20.8%となっています。哲学が必修なのは、普通バカロレアと技術バカロレアの大部分です(技術バカロレアの音楽・舞踊コースでは哲学が必修ではありませんが、合格者は技術バカロレア全体の2%程度です)。ということは、同年齢人口のうち、およそ59%が哲学を受験しているということです。

しかし、先ほど触れたように、哲学の答案の7割以上は合格点に達していません。1999年の話とはいえ、その後の哲学試験の内容や評価は変化していませんから、これは現在でもほぼ同じと考えてよいでしょう(同年齢人口に占める受験者の比率は増えていますので、もしかするともっと悪くなっているかもしれません)。そうすると、59%のうち3割弱、つまり18%弱しか「哲学ができる」人はいないのです。

では、なぜフランスの学生たちは哲学を学ぶのでしょうか。それは、生徒たちを哲学の専門家にするためではありません。国民教育総視学官という、教育全体を統括するポストにあったマルク・シェランガムによれば、哲学という「道具」を通じて、生徒たちが「考える自由」を獲得し、「市民」を育てることこそが哲学教育の目的なのです。

ですから、哲学教育によって、高校生たちは市民として必要な考える力を身につけることを期待されています。そしてその考える力は、言葉にされることではじめて評価されるのですから、表現力を育てることにもつながります。哲学は、市民にとって必要な、思考し、表現する能力を育てるのです。哲学が彼らに与えるのは、いわば社会で生きる「武器」としての論理的思考力・表現力なのです。

 

坂本尚志(さかもと・たかし)

1976年生まれ。京都薬科大学准教授。京都大学文学部卒業、同大大学院文学研究科修士課程修了。ボルドー第三大学大学院哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門はフランス現代思想(ミシェル・フーコー)、哲学教育。
著書:『バカロレア幸福論 フランスの高校生に学ぶ哲学的思考のレッスン』(星海社新書)、『共にあることの哲学と現実 家族・社会・文学・政治』(共著、書肆心水)ほか。