『ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門』は、おもにビジネスパーソンに向けて、世界と日本の宗教の基礎知識やビジネスとの関わりについて解説した1冊です。この本を著した同志社大学神学部の小原克博教授に、ビジネスパーソンが宗教を学ぶ意義や、著書に込めたメッセージについてお話をうかがいました。前後編の2回に分けて掲載します。

「学び」によってビジネス的日常を対象化する

──世界史や哲学など、ビジネスパーソン向けの「教養本」がよく読まれています。このたび先生が上梓された『ビジネス教養として知っておきたい 世界を読み解く「宗教」入門』も、メインの読者として想定されているのはビジネスパーソンですね。

「働く」ということは、私たちの人生のかなりの時間を占めますから、忙しく働くうちに日常がどうしてもルーティン化してしまうんですね。そういうルーティン化された日常に埋没すると、大事なことを見過ごしてしまいます。

働くことが人生の大事な部分を占めているとはいえ、それがすべてではありません。仕事にはいいときもあれば悪いときもある。仮にうまくいかないときがあったとしても一喜一憂しないで、日常から少し距離を取ることができれば、生き方に余裕が出てくるはずです。

世界史や宗教は、私たちの日常と関係ないといえば関係ないですが、これらを学ぶことで、いまわれわれはどういう生き方をして、どこに向かっているのか、という大きな視点を得ることができます。そうした視点から振り返ることで、自分たちの日常を批判的に対象化できます。

ビジネスパーソンが、日常生活にあまりかかわりのない歴史や哲学、宗教について学ぶ意義は、こんなところにもあると思います。

──世界史などにくらべて、宗教は少しとっつきにくい気がします。

宗教というと具体的な組織や既成の宗教団体をイメージする人が多いんです。そう考えると「自分には関係ないな」と思ってしまうんですね。

しかし、人間には根源的に宗教的関心があります。普段意識しないだけで。「自分は死んだらどうなるんだろう」「大切な人は死んだらどこに行くんだろう」……。こうした問いは人類史のはじめからある。そういった広い意味での宗教性を考えてみてほしいんです。

がむしゃらに働いているときは意識しなくても済むかもしれませんが、たとえば退職してから「自分の人生とはそもそもなんだったのか」と考えたのでは遅いのではないでしょうか。「老い」や「死」は皆に等しく訪れるのだから、ふだんから自分がいま働いていることの意味を考えたり、あるいは自分の会社が社会にどう貢献しているか、お金が儲かればそれでいいのか、と問うてみたり。そういう視点を宗教は与えてくれると思います。

利益至上主義だけでは行き詰まる

──小原先生は、研修などで企業の経営層に対しても講義されるそうですが、経営者たちも宗教について学ぶ意義を感じているのでしょうね。

グローバルにビジネスを展開するには、世界の宗教についての知識があったほうがいい。また、将来を見据える企業は、次代を担う幹部を育てる必要があります。そうしたときに、これまで通りのルーティンワークの中でしか、ものごとを考えられない人材は役に立たないわけです。発想を大きく転換したり広い視野を持つためには、いわゆるリベラルアーツ的な広い意味での教養を身につけることが求められているのではないでしょうか。

──宗教的な視点は、利益至上主義的なビジネスの考え方の対極にあるようにも思えます。

もちろん、ビジネスの目的は利益を上げることですから基本的には利己主義といえます。でも、それ一本では持続しません。

ニュースを見ていると、企業や組織が利益をあげるためにデータを改ざんしたり裏取引をしたりといった不正行為があとを絶たないですよね。それで一時的には業績を伸ばすことができたとしても、長い目で見れば消費者とか顧客を裏切ることになり信頼を失っていきます。

ですから企業は、利益を考えるだけではなく、「社会に対して自分たちがポジティブな貢献をしている」「新しい価値を提供しているんだ」という、ある意味利他的な行為のレベルにおける満足感を追求すべきだし、それを社員が共有していることが非常に大事だと思うんです。その視点がないと単なる金儲け集団です。会社の利益があがった、自分の給料があがった、それだけで一喜一憂するというのでは、持続可能な組織にはなりません。

宗教が求めることと人間の経済活動が求めることは、違う方向を向いている場合もあります。しかし両者は、人間の欲望の表面と裏面という捉え方もできる。ものごとを多角的に見る方法として、宗教的な視点は新たな光を与えてくれます。

そういった意味では、宗教とビジネス双方の視点は、対立的というよりむしろ補完的な関係にあるといえますね。

宗教だけが紛争の原因ではない

──キリスト教徒やムスリム(イスラーム教徒)の考え方を知ることは大切だと思いますが、中東地域の混乱などを見るにつけ、ある種の警戒感を感じてしまいます。

日本では、一神教、とくにイスラームがしばしば批判の対象になります。そこには、一神教が紛争や戦争を起こしている当事者だという見方があります。しかし、これは間違った見方です。

どんな宗教でも、大きな政治権力と結びついたり、みずからが政治権力を持ったりすると対立が起きやすくなる。つまり戦争というのは基本的に政治的な駆け引きであって、敵味方の峻別のために宗教がいわば事後的に利用される場合がある。一神教自体が、根源的に戦闘的で、戦争が好きだというわけではないんです。

私たちは、中東の紛争の原因を宗教に求めがちですが、この考え方は単純過ぎます。紛争や戦争の原因は複合的なのに、あれもこれも宗教戦争だと考えると腑に落ちやすいので、そのように単純化して考えてしまうんです。

メディアを通して入ってくる情報はセンセーショナルなものばかりなので、放っておくとネガティブな情報が頭の中にどんどん積み重なっていきます。イスラーム世界は危ないとか、やっかいだとか。そういう偏見やバイアスを自分にかけすぎないためにも、情報を客観的に受け止めることができるような基礎知識が大事です。

──知らないから偏見を持ってしまうんですね。

誰でも、知らないものに対してはレッテルを貼ってしまうんです、宗教に限らず。知らないものを見たときに反射的に「怖い」とか「この人はこうに違いない」とか。対象を冷静に見るためにも、対象に対する知識というのは欠かせないですね。

たくさんの日本の会社が東南アジアなどに進出し、現地のムスリムの人たちを雇用しています。彼らの価値観を知らないと、「日本ではこうです。だからあなたたちもこうしてください」という言い方しかできないわけです。それでは信頼関係を結ぶことはできません。

どんな世界でもそうですが、人は、自分が大事にしているものを大切にしてくれる人に対して心を開きます。反対に、自分が大事にしているものを無視するような人は、いくら上司や雇用主でも信頼できないですよ。

日本の企業がグローバル化する中で、現地の人が持つ価値観の根本にあるものを理解しようという気持ちがあるかどうか。これが非常に大事ですね。

後編[11月7日公開]に続く/文責:日本実業出版社)


著者プロフィール

小原 克博(こはら かつひろ)

1965年大阪生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程修了。博士(神学)。現在、同志社大学神学部教授、良心学研究センター長。専門はキリスト教思想、宗教倫理学、一神教研究。先端医療、環境問題、性差別などをめぐる倫理的課題や、宗教と政治およびビジネス(経済活動)との関係、一神教に焦点を当てた文明論、戦争論などに取り組む。神道および仏教をはじめとする日本の諸宗教との対話の経験も長い。
著書に『一神教とは何か』(平凡社新書)、『宗教のポリティクス──日本社会と一神教世界の邂逅』(晃洋書房)、『神のドラマトゥルギー』(教文館)、『宗教と対話──多文化共生社会の中で』(共著、教文館)、『原発とキリスト教──私たちはこう考える』(共著、新教出版社)、『原理主義から世界の動きが見える──キリスト教・イスラーム・ユダヤ教の真実と虚像』(共著、PHP新書)などがある。