入社前に思い描いていた働き方は、忙しい日々の中で忘れてしまいがち。特に管理職など責任ある立場になるほど、会社の利益や効率のいい働き方など実利を優先して考えてしまうものです。「今の会社にいる意味」を見失わないためにはどうしたらいいのでしょうか? オムロンの新規事業開発に携わってきた竹林一氏の著書『たった1人から始めるイノベーション入門』から一部抜粋し再構成のうえで紹介します。
長期休暇で考え直す「この会社で何がしたいか」
オムロンは技術の会社ゆえ、技術を起点にたくさんの社会的課題を解決し、多くのイノベーションを生み出してきました。たとえば電子式自動感応式信号機、クレジットカードによる自動販売システム、自動改札機、オンライン現金自動支払機、カラー表示液晶電卓などをはじめ、世界初・日本初の技術を数多く開発してきました。
そんなオムロンで、私が最もすごいと思っているイノベーションがあります。それは、人事制度です。じつはオムロンには「長期リフレッシュ休暇」という制度があって、管理職に就いてから6年目に、3か月の休暇をとることができるようになっています。もちろん有給です。会社に行かなくても給料だけは3か月分もらえることになっています。当然ながら、何をするのも自由です。私の先輩は「この機会にモンゴルの遊牧民の暮らしを見てくる」と言って、モンゴルに行かれました。
ところが導入当初、この管理職の年代というのは、会社を休みたがらない人も多かったそうです。というのも管理職になって6年も仕事をしていれば、たいていの人は部門の責任者になっています。そして「自分がこの部署を支えてきたんだ」という自負を強く持っています。ですから「3か月休んでいい」と言われると、「いやいや、そんなに長く私が休んでしまったら、この部は回りません」という思いが先立つようなんですね。
しかし、この3か月の休暇をとってもらうのは、単に慰労の意味というだけではありません。なぜこんな制度をつくったのかというと、「ところであなたは、どうしてオムロンに入社したんですか」ということを、もう一度、考えてもらうためです。
おそらく就職してすぐのときは、誰しも「オムロンで実現させたいこと」を胸に抱いて、仕事をしていたと思うんです。でなければ、オムロンに来ていないでしょうから。でも日々の仕事に追われ、管理職になって、やれ「売上はどうなっている」だとか「商品の品質は一定の基準をクリアしているか」とか「生産性は落ちていないか」と実利の話ばかりの毎日が続くと、もともと自分がやりたかったことそっちのけで、仕事をこなしている可能性もあるんですね。
そこで、いったんそれらを置いて「これからの自分がオムロンで何をしたいのか?」をじっくり考えてほしいということでできたのが、この休暇制度というわけです。
そして、オムロンのすごいところは、3か月会社を休んで、「オムロンでこれからやりたいことを見つけてきてね」としているところです。つまり、「やりたいことがなかったら、何やってくれるの?」と暗に問われている。給料のために会社にしがみついているのではなくて、「自分がやりたいこと」の実現のために、働いている。働く人にはそうあってほしいというメッセージともとれます。
となると休暇に入る管理職としても、「これからの自分がオムロンで働く意味」についてじっくり考えて、しっかり答えを出してきます。それで、もしやりたいことがオムロンのほかに見つかったなら、帰ってくる必要はありません。さきほどお話しした私の先輩は、モンゴルの暮らしが水に合ったようで、この機会に退職され、モンゴルで暮らしておられるそうです。
「人間は息するために生きてるんか。違うやろ」
「やりたいことをやるために、私たちはどう生きるか」はいつの時代も変わらない問いだと思います。特に最近は、「人生100年時代」と言われ、下手をすれば「会社の寿命」より「自分の寿命」のほうが長いかもしれない時代になってきました。そしてその会社を20年、30年と支えてきた価値観や制度、ビジネスモデルの賞味期限も切れはじめています。そんな社会のなかで、どう生きていくか。そういったことを考えたときに、思い出したいのはオムロンの創業者である立石一真氏の次の言葉です。
「企業は利益を追求するもんや。それは人間が息するのと同じや。そやけど、人間は息するために生きてるんか。違うやろ」(『オムロン創業者 立石一真 「できません」と云うな』(湯谷昇羊著/ダイヤモンド社)
利益がなければ企業は存続できません。だからこそ企業は利益を上げようと、新商品を開発したり、販売に力を入れたり、業務の効率化を図るわけです。それは人間にとって空気と一緒で、利益は企業にとって存続するためになくてはならないものです。
しかし、ここでちょっと考えたいのは、「企業は利益を上げるために存在しているのか」ということです。企業はお金を儲けるためだけに存続しているのではないと、立石一真氏は考えました。では、なんのために企業は存続しているのでしょうか。
平たく言うと、世のため人のため、社会に貢献するために企業は存続しており、「儲け」とは、そのために必要な原資と考えたのです。つまり、企業というのは本質的に公器性を持っているということですね。そうした立石一真氏の考え方は、次のような「社憲」として、いまなおオムロンの一番大事な指針となっています。
われわれの働きで
われわれの生活を向上し
よりよい社会をつくりましょう
私たちは、それぞれの仕事で、世の中を楽しく変えることができる。そして、よりよい社会を創ることができる。私はそう信じていますし、イノベーションとは、そのためにあるものだと思います。
100年時代の「生きる喜び」とは?
そういった意味では、いまの世の中技術の進化で便利なものはどんどんできているけれど、ワクワクするものがないように思うんですね。それで、講演やセミナーでは「便利曲線は上がっているけれど、感動曲線が下がっている」なんてよく話しています。京都大学の川上浩司先生が、不便であることの益――「不便益」という考え方を提唱されていますが、たしかに、いくら便利と言っても、富士山に登るのに、もし頂上までエレベーターがついていたとしたら山登りの楽しさは失われてしまいます。
便利なことが悪いわけではありません。不便なことをどんどん解消していくと、効率も上がるし、楽になったり、コストを安く抑えて商品をつくったりすることもできます。生活や仕事のなかの不便に気づいて、新しい仕組みを考えるというのもイノベーションのひとつのあり方です
現在は、効率や生産性を求める工業社会的価値観から、しだいに精神的な豊かさ、1人の人間として生きる喜びを求める価値観へと転換しています。そういった社会を、オムロンでは経営の未来を予測した「SINIC理論」(※)に基づき、「自律社会」と呼んでいます。ビジネス的に言い換えると、「1人ずつの価値観に合った商品やサービスが生まれる時代」とも言えるでしょう。
「自律社会」を見据えるなら、便利軸だけではなく感動軸からもイノベーションを考える必要があります。「自分の幸せは自分でつくる」というのが、「自律社会」の常識となるだろうからです。世の中を変える力は、私たち1人ひとりにあります。どうせ変えるなら、あなた自身がワクワクする世の中を、イノベーションを起こして創りませんか。
(※)「SINIC理論」
1970年、大阪万博の年に国際未来学会で立石電機(現オムロン)が発表した未来予測。「Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic Evolution」の略称。科学・技術・社会は相互に作用しながら発展していくという基本的な考え方のもと、現在もオムロンの経営の羅針盤となっている。
竹林一(たけばやし・はじめ)
オムロン株式会社イノベーション推進本部インキュベーションセンタ長、京都大学経営管理大学院 客員教授。「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野で活動を楽しむべきである」との理念に感動して立石電機(現オムロン)に入社。以後、新規事業開発として鉄道カードシステム事業やモバイル事業、電子マネー事業等に携わった後、事業構造改革の推進、オムロンソフトウェア代表取締役社長、オムロン直方代表取締役社長、ドコモ・ヘルスケア代表取締役社長を経てオムロン株式会社イノベーション推進本部インキュベーションセンタ長を務めるとともに、京都大学経営管理大学院客員教授として「100年続くベンチャーが生まれ育つ都」に向けた研究・実践を推進する。著書に『ここまできた!モバイルマーケティング進化論』(日経BP企画)、『PMO構築事例・実践法』(共著:ソフト・リサーチ・センター)等がある。