これからの時代の就業規則にはどんな視点が必要なのでしょうか。社労士として1000社を超える企業の経営問題を解決してきた、下田直人さんに聞きました。
※本稿は下田直人『新標準の就業規則 多様化に対応した〈戦略的〉社内ルールのつくり方』の一部を再編集したものです。
つくる意図が変わってきている就業規則
少し前まで、就業規則は何のためにつくるのかというと、企業側が「労使関係において有利に働くように」という意図を持って作成していたのではないでしょうか。
もちろん、すべての企業がそうとはいいませんが、本音の部分では、そのような動機で作成した企業が多くあったのも事実でしょう。
実際、我々のところに就業規則の作成を依頼する企業の中にも、そうした動機で依頼してくるケースが多数ありました。
インターネット上の情報で、「問題社員対策に就業規則を」といった文言が踊っていたのも事実です。
しかし、時代は変わりました。昨今では、「良好なパートナー関係を構築するために必要なルールとしての就業規則」が必要になってきています。もう、そうでないと人がついてこないからです。
企業が一方的に有利になるようなルールでは、優秀な人材がその企業に定着しません。従業員をうまく操る、企業が有利になるような就業規則を作成しても、賢い従業員がその意図を見破ってしまいます。
それでは「良好なパートナー関係を構築するために必要なルールとしての就業規則」とは、具体的にはどのような考え方に基づくべきなのでしょうか。
労働時間管理は「法的に問題なし」の取組みだけでは済まない
働き方改革関連法が成立した2018年6月あたりから、長時間労働の抑制が社会的価値観として広く浸透してきました。
労働時間についての法律については、大きく変わったわけではありません。時間外労働をさせるための協定(いわいる36協定)で定める「残業させることができる時間」について上限が設けられたり、違反に罰則がつくようにはなりましたが、それとて、36協定を締結すればいまだ1か月100時間未満の範囲で長時間の残業や休日労働をさせることができます。
しかし、世の中の空気感は圧倒的に変わりました。たとえ、法的には問題ないとしても、経営者が残業の抑制に関心がないことが知られてしまうと、その企業の姿勢が従業員や世間から評価されなくなってしまったのです。
ある人が「経営に一番大事なのは心理学である」ということを言っていました。まさにそのとおりだと思いました。
「法律的に正しい・正しくない」という視点も重要ですが、経営者の発言、企業の姿勢や方針が人の心理にどう影響を与えるのかを読み取り、そのために何をするのかが大事な時代になってきたのです。
企業への評価に直結する多様な働き方への対応
働く人のニーズは多様化しています。その多様性を汲み取り、柔軟に対応できるか否かが、企業を評価する際の分かれ目になりそうです。
少し前までは、働き方でいえば育児をする従業員への配慮が大部分でした。しかし、最近では育児のほか、介護の問題、治療と仕事の両立、副業・兼業のニーズ、短時間勤務のニーズ、勤務地を限定したいニーズなど、配慮すべき点が増えています。
従業員側のニーズを企業側がどう捉え、どんな方針を打ち立てるのか、対応するもの・しないものをどう線引きするのか──。これらを明確にする必要があります。一連の対応を従業員が見ているのです。
結果として、従業員のほうを向いてニーズを汲み取ろうとしている企業に人が集まり、優秀な人材を選びやすくなります。
LGBT等の多様性への対応
いよいよ開催される東京オリンピック・パラリンピック競技大会ですが、オリンピック憲章には、「性的指向による差別の禁止」が記載されています。
また、政府の進めた「ニッポン一億総活躍プラン」等において、性的指向、性自認に関する正しい理解促進、社会全体が多様性を受け入れる環境づくり」がうたわれました。
そうした社会的価値観の変化も相まって、LGBTなどの多様性の受け入れを企業内でどのようにしていくのかを考える空気も生まれてきました。
2017年1月1日から、男女雇用機会均等法の妊娠・出産等に関するハラスメント指針に「 被害者の性的指向又は性自認にかかわらず、当該者に対する職場におけるセクシュアル・ ハラスメントも、本指針の対象となるものである」との一文が追加され、「セクシュアル・ハラスメントには 同性に対するものも含まれる」ことが明記されました。
そのような背景を受けて、セクシュアル・ハラスメントに対する指針などを変更することに加えて、家族手当や結婚休暇に同性パートナーも認めた企業も出てきています。
今後の世の中の流れを考えると、性的指向の多様性を認める企業、それを制度として就業規則にルール化し担保している企業が、世間から評価される時代になってくると考えます。
従属関係の組織から自律分散型の大人の組織へ
コンプライアンスに関する意識の芽生え、終身雇用という概念の希薄化など、様々な要素が重なり合い、労使間において「契約」という考えが一般化してきました。
経営者には「雇用契約」という言葉を嫌がる方が相当数おられます。
「企業側ばかりに義務が強いられる」といったイメージを持っておられるようです。
しかし、契約はどちらか一方に縛りを設ける約束事ではありません。双方がうまくやっていくための決まりごとをつくるということです。
本来、双方がうまくいくためのルールを明確にしていくのが契約社会ですから、お互いにとって住みやすい社会になるはずです。
とはいえ、実際にはそうはなりにくいのです。「自分が不利にならないように」という内向きの自分視点発想で約束を決めようとするからです。労使双方がそう考える場合もあれば、どちらか一方にその思いが強い場合もあります。
自分ばかりに目が行く内向きの視点が解消されれば、ルールを明確にすることはとてもいいことなのです。では、どうすればいいのか──。その1つの答えが意識の変容です。意識レベルが高い人たちの集まる組織となっていくことです。
それを私は「大人の関係の組織」といっています。「大人の関係の組織」とは、頭がいい人たちや教養が高い人の集まりということではありません。相手に無関心でドライな人たちの集まりでもありません。
自分自身という囚われから意識が外れて、自然と「大きな目標・目的(自分の目標・目的 ではない)のために生きられる人」「自分と人とが切り分けられないような感覚」「世のため人のためといった自分の外に意識が向かう感覚」、このような意識を持った人たちが多く集まった組織です。
近年現れたティールやホラクラシーといった、階層構造や管理マネジメントの仕組みが存在しない、従業員それぞれが裁量権を持って行動する「自律分散型の組織形態」がそれに近いといえます。
「場づくり」のルールに切り替えよう
以上のような労働環境に関する意識の変化を踏まえると、就業規則の価値や、その考え方も必然的に変わってきます。
今までは、企業側の都合や視点でつくる企業が多かったと思います。今後は、企業視点の一方的なルールから、大人の関係が構築・維持される「場づくり」のルールへと移行させていく必要があるのです。
その意図は、優秀な従業員との良好なパートナー関係を図ることにあります。彼ら彼女らにとって心理的に安心・安全な職場をつくるためのルールを作成していきましょう。
そうした場は、企業がトップダウンでつくるのではなく、労使間で、フラットに、能動的につくり上げていくのがベストな形です。
なお、組織風土は、当然ながら就業規則だけで醸成されるものではありません。しかし、就業規則がその一部を担い、日々のミーティングや会議、朝礼、社内報、社内イベントなどと織りを成してつくり上げられていくのです。
つまり、就業規則に対する基本的スタンスを、命令や強制力の根拠となるルールから、良い企業風土を意図的に構築するための対話のツールに変えていくのです。
著者プロフィール
下田直人(しもだ なおと)
株式会社エスパシオ代表取締役。ドリームサポート社会保険労務士法人役員。特定社会保険労務士。経営コンサルタント。ビジネスコーチ。1974年生まれ。2002年社会保険労務士として開業。 2005年『なぜ、就業規則を変えると会社は儲かるのか?』を出版し、就業規則に対する中小企業、社会保険労務士の概念を変える。 以来、「就業規則の神様」と呼ばれ、全国にクライアントを持つとともに、「社労士に頼られる社労士」として専門家への指導も行う。
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