マイナンバーなど新しい制度が増えるたび、全国の自治体では日々膨大な業務に追われることになる。昨今は、新型コロナへの対応業務も加わり、現場は疲弊するばかりだ。その負担を減らすべく、「社会保障制度×テクノロジー」でDX化を進めるにはどうすればよいのか。デジタル領域の業務改革で多くの支援実績をもつアクセンチュアが目指すのは、誰ひとり制度から排除しない”人間中心(Human Centric)”の行政サービスの実現。新刊『社会保障DX戦略』で提起された変革のシナリオを一部紹介しよう。
 
※本稿は『社会保障DX戦略』(立石英司+アクセンチュア 社会保障領域チーム:著)を再編集しています。

高まるセーフティネットとしての機能

新しい社会保障行政モデルを考えるにあたり、まず、「社会保障(Social Security)」という仕組みが市民に対してどうあるべきかを改めて考えてみましょう。

ここで言う「あるべき姿」とは、社会保障の制度設計そのものではなく、制度運用の仕組みに関わる部分です。いくら制度の内容が理想に近づいても、支援を必要とする市民に届かなければ砂上の楼閣であり、これまで度重なる制度改革が行われながら、満足な結果が得られていないのは、多分に運用の問題が大きいと考えるからです。

そもそも社会保障は、経済を支える労働者が病気やケガ、失業、老化のために収入を絶たれ、貧困に陥ることを防ぐために19世紀末に始まりました。社会秩序の安定や経済停滞の回復が目的です。

その後、個人の力では対応できない生活上のリスクを社会全体で支えるセーフティネットとしての機能が強まり、保障の範囲も、出産から、子育て、教育まで広がり、生活の様々なシーンをカバーするようになってきました。新しい領域が増えるたびに専門家の意見を取り入れながら、充実したメニューを作り上げてきたわけです。

行政とサービスの受け手の間にある溝

こうして時代の要請に応える過程で、行政の各領域は別々に専門特化し、組織構造を体系化することで行政運営の最大限の効率化を図ってきたのですが、一方で細分化が進んだ結果、かえって受け手である市民との間には溝ができている面もあります。

いわゆる窓口での“たらい回し”はその典型です。「よい製品を作れば売れる」と信じて緻密で精巧な製品づくりに邁進した末に、日本製品がガラパゴス化したのと同じ状況に陥っているおそれがあるわけです。

時代とともに制度設計が変わっても、制度を回す仕組みは変わっていません。社会保障という言葉には、「助けを求めて来たら、社会的な仕組み(Social)によって、危険から守る(Security)」という意味合いがあります。

現在の社会保障の現場で奮闘されている個々の職員のみなさんが、そういった上から目線の意識で日々の業務をされているとは考えにくいのですが、制度や運営の枠組みがこうした発想のもとに作られていることは否めません。

実際、行政の手続きを一度でも経験した利用者であれば、多かれ少なかれ、「我われは必要な枠組みを作り、窓口を用意している。利用したい人から申請を受ければ、設定条件に合うかどうかを審査し、制度を適用する」という役所の意識を感じ取り、提供側を中心に動く仕組みに合わせることを強いられていると感じるでしょう。

制度の運用に生じている目詰まりは、こうした行政の目線と市民の目線との間のズレから生じているのではないでしょうか。この関係性のリセットに社会保障行政の見直しのカギがありそうです。

人間中心 (Human Centric)へのアップデート

現在、社会保障に求められているのは、何か問題が起きたときのセーフティネットとしての機能に留まりません。誰もが自分らしい暮らしや人生を安心・安全な環境で送れるようにサポートすることです。そのために、教育、雇用・労働、育児、医療・介護、年金など、多岐にわたる施策を提供することに変化してきています。

行政の窓口はバラバラで関係部署のなかだけで完結していますが、どの領域も1人の市民が長い人生において密接に関わっていくものです。ヒトとして生まれ、教育を受け、仕事をしながら子育てをし、失業して学び直し、病気に悩み、定年後に再就職し、介護の世話になり……。いつ、どの領域に接するかは、1人ひとりの学び方、働き方、生き方、価値観に左右されます。

つまり、受け身の姿勢で市民を窓口で待つのではなく、個々の市民の数だけある現在の生活あるいは将来のために必要なサポートを把握し、ライフサイクルを通じて継続して届ける前向きな役割が求められているのです。