オードリーの苦しみを理解し成長を支えた彼女は、既存の教育に疑問を持ち、自らまったく新しい学園を創ることを決意します。
『子どもの才能を引き出す 天才IT相オードリー・タンを育てた母の教育メソッド』(李雅卿著)には、理想の学びを求めた李と教師、親、そして子どもたちの奮闘がいきいきと描かれています。本書のポイントを紹介します。
文:日本実業出版社WEB編集部
「神童の母」は自ら学校を創った
台湾のデジタル担当大臣を務めるオードリー・タン氏は、いま最も著名な台湾人のひとりだろう。2016年、台湾史上、最年少の35歳で入閣し、新型コロナウイルスのパンデミックに際しては、素早く的確な対策を打って、その活躍ぶりが広く世界に知られるようになった。また、世界的にもめずらしいトランスジェンダーの閣僚としても知られている。
もっとも、台湾やIT業界では早くから有名な「神童」だった。8歳ごろからプログラミングに関心をもちはじめ、15歳で起業し、オープンソースのプログラミング言語「Perl(パール)」の発展に貢献した。やがて、米アップル社や台湾のIT企業から顧問として迎えられるなど、その才能が高く評価されてきた。明晰な頭脳はIQ180以上といわれる。
だが、天才の多くがそうであるように、オードリーも学校にはなじめなかった。中学生のころ、画一的な教育の現場からこぼれ落ちて不登校になり、中退して自宅での独習に切り替えたい、と周囲に訴えた。
当然のように、大人たちは猛烈に反対したが、母の李雅卿だけはその考えに理解を示し、尊重したという。そして、本人の希望どおりに中退を許すと、李は既存の学校を頼らずに済む教育について、懸命に研究しはじめた。新聞記者や編集者としてジャーナリズムに携わっていた彼女は、教育の専門家ではなかったが、社会の枠組みからはみ出してしまったわが子をサポートするため、子どもの才能を最大限に引き出す教育のあり方を独学で模索したのである。
そうした経験から、彼女は既存の学校に代わる新たな選択肢の必要性を痛感し、現実に「種子学園(種籽親子実験小学)」という学校を創設した。そして、自身が初代校長を務め、じつにユニークな教育を実践する。
結果として、台湾におけるオルタナティブ教育の草分けとなった同学園では、具体的にどのような教育が行なわれてきたのか。彼女の著書『子どもの才能を引き出す 天才IT相オードリー・タンを育てた母の教育メソッド』には、その様子が克明に描かれている。
教育方針は「いかなる権威的なものも導入しない」
実際、種子学園には次のような興味深い特徴がある。
- 学年分けをしない
- 科目は子どもが自由に選択する
- 学校のルールは子どもが討論して決める
そのほか、問題があれば学園内の「法廷」で解決をはかる、子どもが担当教師を選択する、定員は60名を上限として、子ども7名に対し1名の割合で教師が配置される、といった点も、既存の学校にはあまり見られない工夫だろう。いずれも、子どもが主体的に学習する環境を整えるために考えられたものである。
「私たちが望むのはすべての子どもが生まれながらに備えている善への志向性や向上心をそのまま保ちながら、生活の本質を感じ取り、生命の変化の本質を理解できるようになること、物事を追求し探索する勇気を持つようになることだ」(あとがき)
とはいえ、理想と現実は違う。本当に、子どもの自主性を信用してもいいのか。教育とは、本来、ある種の強要や強制をともなうものではないのか。
李が掲げる「いかなる権威的なものも導入しない」という教育方針は多くの支持を得たものの、創設当初は教師や保護者の一部から不安の声も上がった。受講科目を選択制にするという思い切った学習システムについての懸念は、その典型だろう。教育上の配慮から、国語と数学だけは必修科目とされたが、それ以外の科目は何を選んでもかまわない、というのである。
もし、子どもが単に好き嫌いだけで「偏食」したら、どうするのか。その将来を思うほど、大人が危惧するのは当然かもしれない。
教育とは、自ら伸びようとする子どもを応援すること
だが、そうした心配はまったくの杞憂だった。偏食どころか、受けたい科目の時間割が重なってしまうため、ほとんどの子どもが時間割の調整を希望してきたのである。しかも、実際に授業が始まると、授業中、周囲の迷惑となるような不真面目な子どもがいた場合、その子どもを追い出すよう教師に要求する声さえ上がるようになったという。不真面目な子どもは、その他の子どもが授業を受ける権利を侵害しているから、というのが、その理由である。
「私たちは、学習の時期、学習速度、そしてどういった方法で学ぶか、それらに対する子どもたち自身の判断と選択を尊重しているだけなのだ」(39ページ)
受講科目を選択制にしたねらいについて、李はそう語る。そして、
「大人の手助けが適切、かつ学校の提供するカリキュラムも合理的なら、子どもたちは学習を望むばかりか、往々にして大人からの学習提供にも協力的」(48ページ)
になることを、子どもたちとともに過ごすなかで悟った、と吐露している。
しかし、彼女は種子学園を創設する前から、そう確信していたに違いない。大人の適切な手助けも、合理的なカリキュラムも望めない環境が、いかに子どもの学習意欲を削いでしまうか、わが子を通じて実感していたからである。環境さえ変われば、という切実さからか、オードリーはじつに7つの学校を渡り歩いた。
同書に描かれた種子学園をめぐる彼女の奮闘ぶりは、幼い才能の芽を摘むことなく、自ら伸びようとする子どもを応援する大人のあるべき姿を示唆している。
(写真提供:Seedling Experimental School)