あなたは「古代の日本」にどのようなイメージを思い浮かべますか?

もしかしたら邪馬台国の卑弥呼を想像するかもしれませんし、また稲作農耕をはじめた弥生時代の遺跡を思い出すかもしれません。もちろんそれらは古代のイメージとして正しいと言えるのですが、発掘調査の進展によってより鮮明に当時の文化や風習、生活が分かるようになってきました。そして、古代と現代はつながっていると感じさせる部分が次々と解明されつつあります。

その一端を『古代の日本がわかる事典』からご紹介していきましょう。

ロマンに満ちた「古代」の姿

どことなくロマンを感じさせる「古代」という言葉。文明の始まりを示すこの言葉は、日本では先史時代以降――邪馬台国から奈良・平安時代頃までの、武家政権の成立以前――を指す区分として認識されています。

しかし、この「古代」という時代の概念やイメージは今、大きく変わってきているのです。

これまでの歴史研究は、「文献史学」という文字史料を研究する手法が中心でした。しかし、考古学における発掘調査が進み、これまで当たり前とされていたことに疑問が投げかけられるようになっています。そして、明らかになってきているのが、私たちの遠い祖先がどのような生活を送ってきたのか、日本という国の基礎をどのように作ってきたのか、ということ。そこには現代につながるいくつかの痕跡が見られます。

では、さっそく「古代」と「現代」がつながる旅へと出かけましょう。

縄文時代にはすでにクッキーが作られていた?

「縄文時代のクッキーって、いきなり何を言い出すんだ?」と思った人もいるでしょう。

実は、縄文時代の遺跡から「クッキー状の炭化物」が発見されているのです。それは、粉状のデンプンをクッキー、またはパン状に固めて焼いたものと推測されており、学習の場などでこのクッキーを再現して食べるということもあるようです。

この発見に対し「使われた分析方法に欠点があるため、それらのレシピは推定の域を出ていない。分かっていることは『粉状のデンプンを固めたもの』だということだけだ」という反論(参考。ページ後半部分に「縄文クッキー」に関する言及あり)もありますが、ここで疑問が浮かびませんか? 「そもそも、狩猟採集文化だった縄文時代にデンプンを加工する技術があったのだろうか」と。

この炭化物が「本当にクッキーだったのかどうか」はともかく、「縄文土器」の存在がこうしたものの作成を可能にしたと考える学説があります。『古代の日本がわかる事典』の著者・北川隆三郎さんは次のように述べています。