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何が一番大事かというといわずもがなで、「個人的なナマの体験」をどれだけするかということ。これが一番大事。逆に一番危険なのが、集団的なメディア体験というものにまみれちゃうことです。

放っておくとまみれがちなんですよ。たとえばテレビのコメンテーターが言ってることを自分の意見のように考えてしまう。コマーシャルが伝えるままに買い物してしまったりする。マスメディアに自分が支配されてしまうんです。

人生でこの時間が多すぎると、自分自身の人生を生きていない、ということになる。

そうはいったって、限られた時間のなかで「個人的なナマの体験」をそんなにたくさんはできない。ですから、それを補完するものとして、読書を通じて人が体験したものを疑似的に体験する。そしてそれを自分の脳にどれくらいインプットできるか、というのが勝負になるわけです。

実体験が一番大事ですが、その次に大事なのが、人が体験したものを読書によって疑似体験するということなんですね。

たとえば、塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読めば、塩野さんが何年、何十年かけて蓄積したイタリアでの経験のなかで研究したもの、何千万円何億円、何時間も投資したことが、1冊の本で知ることができる、追体験することができるわけじゃないですか。そういう体験が大事だという話。

それをしないで、メディア的で集団的な体験が大きくなっちゃうと、自分で考えているつもりでも、実は全然自分で考えない人になっちゃう。それはとてもまずいことだと思うんで、この図で伝えたかったわけです。

著者の「脳のかけら」を自分の脳につなげよう

この本に書いたことでもうひとつ、これもあまりいわれていないことですけど、僕は、読書することというのは、他者の「脳のかけら」を自分の脳にカチャッとはめるということだと思っているんです。

茂木健一郎さんの脳科学の本を読んだときに、あの天才の茂木さんが時間をかけて研究したことを数時間読むことによって、茂木さんの脳のかけら、全部じゃないですよ、かけらがカチャっとはまる。

そうやって「林真理子脳」とか「村上龍脳」とかがはまってくると、自分の脳を拡張できるということだと思います。だから読書するというのは書いた人の脳のかけらを盗む、というかお借りしてカチャッとはめる、こういうことなんだと考えることができる。

本を読むと何がいいのか、ということについて、以上のように僕は考えています。読書はやはり重要なんですよ。それも分野を決めずに乱読することをお勧めします。

「情報編集力」というのはつなげる力ですから。ビジネスマンであっても純文学や自然科学分野も含めて、読みやすそうなものから乱読すると、いずれ自分の脳が拡張していることを実感できると思います。

(終わり)