「私道」なのに◯◯キロもある!?

山口県宇部市から美祢(みね)市に至る31.9kmの道路は、しっかりと舗装され中央分離帯も設置されている一見高速道路のような立派なもの。大型のトレーラーが高速で行き来するこの道が私道であることはあまり知られていない。

宇部興産専用道路の「興産大橋」
宇部興産専用道路の「興産大橋」(写真提供:宇部興産株式会社)

この道路は、正式名称「宇部興産宇部・美祢高速道路」、通称「宇部興産専用道路」という。厳密には、宇部市の宇部興産宇部セメント工場と、美祢市にある同社の伊佐セメント工場を結んでいる道だ。宇部港にかかる部分では、「興産大橋」という1,000mを超えるこれまた立派な橋を渡る。この道路が、企業が自社のためだけに、しかもセメントを運搬するだけに建設した道路だと聞いて、驚かない人はいないはずだ。

法律上の扱いとしては工場の構内にある道路と同じで、一般の交通規則は適用されないので、交通違反も罰金もない。しかし、あくもでも「私道」であり、普通の車は通行できないことをお忘れなく。
(本書第1章より)

物や文化も運ぶ道路

絹の道

横浜港の近くに、絹の博物館も入るシルクセンターという建物がある。横浜と絹にはどんなつながりがあるのだろうか。

「絹の道」
「歴史の道百選」にも選ばれている「絹の道」(写真提供:東京都八王子市)

日本は古くから中国に次いで繭の産出量が多く、養蚕業も盛んだった。明治に入ると開国、近代化の機運にのり、生糸はもっとも重要な輸出品となった。

生糸のおもな生産地は東北南部から関東、甲信地域で、東京の八王子はその集散地として栄えた。その八王子と横浜港を結ぶ約45kmの道は「絹の道」と呼ばれた。生糸はここを通って、横浜の港から大量に世界に輸出された。日本にも「シルクロード」があったのだ。

八王子市は御殿橋から「絹の道」碑までの1.5kmを史跡として指定している。その一部、昔の面影を色濃く残す未舗装の道は、文化庁によって「歴史の道百選」にも選ばれていて、多くの人が散策に訪れる人気スポットだ。

 ブリ街道

「絹の道」のように、地域の名産品が通称名となる道路は多い。飛騨街道(国道41号)は、富山湾で水揚げされた「越中ブリ」を高山まで運ぶ「ブリ街道」と呼ばれた。江戸時代以来、飛騨地方ではブリは高級魚として珍重され、年越しの行事などには欠かせない食材だった。現代のように冷凍できないため塩をすり込まれた「塩ブリ」を、「歩荷(ぽっか)」と呼ばれる人たちが、一人当たり60~100kgも背負い、雪深い道中を運んだという。

ところでブリ街道には、また別の呼び名がある。この道が通る地域にゆかりのある著名人の名前をあげてみよう。利根川進、白川英樹、田中耕一、小柴昌俊。そう、いずれもノーベル賞受賞者である。利根川氏、白川氏、田中氏は幼少期や中学、高校時代を過ごした。小柴氏の受賞のきっかけとなった「カミオカンデ」はこの街道沿い、神岡町にある。

もうおわかりだろう。別名は「ノーベル街道」という。