日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/08/04 10:11

能登の2軒の旧家を訪ねた後は、七尾線で七尾駅に行き、さらにのと鉄道に乗り換えて終点の穴水駅を訪れた。穴水はカキの養殖などで知られる漁師町で、立ち寄った地元のスーパーには「チカイ」「コゾクラ」という聞いたことのない名前の魚が100円~160円という安価で並んでいた。あとで調べると「チカイ」は「メジナ」、「コゾクラ」はブリの幼魚とのこと。

さて、穴水という地名は平安時代の歴史書『日本後紀』にも登場するなど古代から栄えており、中世には穴水城に拠る長氏が割拠していた。長氏は清和源氏と伝える。孝頼が大和国に住んで長谷部氏を称したのが祖で、為連が三河国長馬(愛知県岡崎市)に住んで長馬氏を名乗り、その子信連が遠江国長村(静岡県)で生まれたため長氏を称したという。
信連は以仁王に属し、『源平盛衰記』にも登場する。のち源頼朝に仕えて能登国大屋荘(石川県輪島市・穴水町付近)の地頭となった。室町時代には能登畠山氏のもとで守護代となり、戦国時代に上杉謙信によって能登畠山氏が滅亡すると、長綱連は畠山氏に代わって七尾城を守っている。
しかし七尾城は陥落、脱出した長連龍(好連)は織田信長のもとで長氏を再興し、江戸時代は加賀藩家老となって、陪臣ながら3万3000石という大名並の大身となった。
穴水駅から10分ほど歩いた穴水城の麓には長氏の祖長谷部信連を祀る長谷部神社があり、境内には加賀藩家老長連頼が建立した信連社堂(御影堂)もある。
この日はたまたまお祭りの準備で地元の方が大勢集まっており、部外者は邪魔をしないように少し離れたところから写真だけとって退散した。
