日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/07/21 11:01

石川県羽咋市で講演をしたのち、石川県各地を訪れて来た。最初に向かったのは、土日のみ公開という宝達志水町荻谷の岡部家住宅。JR七尾線の敷浪駅から20分ほど歩いたところにある。この日は午前中から猛暑で、汗だくで立派な構えの岡部家にたどりついた。


岡部家は茅葺き屋根の口能登を代表する豪農屋敷で、石川県指定文化財に指定されている。中に入ると邸内では茅葺を保護するために囲炉裏で火がたかれ、係の方が丁寧に説明してくれた。

さて、岡部家の歴史は古い。そもそもの祖は『平家物語』にも登場する岡部六弥太忠澄である。忠澄は源平合戦で源義経に従って一の谷合戦で平忠度を討ちとったことから各地に所領を賜った。
そのなかの一つに能登国羽咋郡志雄保があり、そこに一族が下向したのが祖である。以来同地の武士として続き、戦国時代は長氏に属してした。そして、天正16年(1588)に前田利家から賄分として426俵が与えられ、江戸時代5代目の長右衛門の時に加賀藩の十村役となった。
十村とは加賀藩独特の農民統治組織で、当初は10ヶ村をまとめる庄屋のようなものだったが、次第に広域化して江戸時代中期以降は数十ヶ村を支配する大庄屋的存在となった。岡部家はこの十村役を代々つとめ、幕末の12代目七左衛門の時には、藩主前田斎泰の能登巡検の際の宿泊本陣となっている。この際、岡部家では藩主のために専用の玄関と寝所を増設している。

明治維新後も素封家として県議や多額納税貴族院議員を歴任した。現在の当主は同地にはおらず、平成16年当時の志雄町(現在の宝達志水町)に寄贈されて、23年から一般公開されている。