日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/04/14 10:59

中世に成田氏の城下町であった忍は、江戸時代には忍藩となった。徳川家康は関東入りすると、四男松平忠吉を忍城10万石の城主とした。しかし忠吉はまだ11歳であったため、代わって松平家忠を1万石で入れ、城下町の整備をさせた。
江戸時代になるとしばらく幕府領となり、寛永10年(1633)に「知恵伊豆」と言われた松平信綱が入部するも、出世して武蔵川越に転封。代わりに老中阿部忠秋が5万石で入部してやっと安定する。阿部家は9代続き、禄高も5万石から次第に増加して10万石となった。行田名物の「十万石饅頭」はこの石高に因んでいる。
そして、文政6年(1823)松平忠堯が伊勢桑名から忍に転じ、5代続いて明治維新を迎えることになる。こうしてみると、忍は代々譜代大名がおさめ、しかも松平信綱や阿部忠秋といった幕府を支えた重要人物が藩主となっていた。それだけ、幕府にとって忍は重要な場所だったということだろう。
ところで、忍城の城下町は「行田」である。中世には忍城のことを行田城ともいったらしく、「忍」と「行田」は同じ場所を指していたらしい。近世になって城は忍城、城下町は行田町と呼ぶことが定着したようだ。

江戸時代中期以降、行田は足袋の生産で知られるようになる。明治になると忍町となったが、昭和24年に市制施行の際に行田市と改称した。これは、昭和初期には全国の足袋の生産の8割以上を行田が占めており、「行田の足袋」が全国的に知られていたことによるという。
