日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/04/07 10:08

埼玉県行田市の忍(おし)城に行って来た。映画「のぼうの城」で有名な城だ。JR高崎線の行田駅からバスも出ているが、電車で行くには熊谷駅で秩父鉄道羽生行きに乗り換え、持田駅で降りるのが一番近い。ここからだと歩いて15分程度。途中にある秩父部鉄道脇の城西公園では桜が満開で、実は忍城よりもこちらの方が素晴らしかった。

さて、忍(おし)とは不思議な地名である。現在の行田市や鴻巣市付近の広い地域は古くから「忍保」と呼ばれており、ここには武蔵国衙の在庁官人の末裔とみられる忍(おし)氏という武士がおり、『吾妻鏡』にも登場している。
この付近は沼や島が点在する湿地帯で、室町時代後期になると成田氏が忍城を築城、ここを本拠として武蔵北部を代表する戦国大名に発展した。忍城址の説明版の絵を見ると、まさに沼に浮かぶ水城である。

成田氏はやがて北条氏の傘下に入り、豊臣秀吉の小田原攻めでは当主氏長は小田原城籠城に加わっていた。そのため、忍城には氏長の叔父泰季とその子長親が籠るも、泰季はまもなく急死。そこに石田三成が押し寄せて来て水攻めをされることになる。
北条方の城が次々と落城としていくなか、最後まで持ちこたえたのは成田長親の忍城のみで、小田原城が落城すると忍城も開城した。開城後、長親は牢人し尾張国に移り住んだという。これを題材にしたのが映画の原作、和田竜の小説「のぽうの城」である。
忍城の名残の堀や沼は水城公園として整備されている。