日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/02/24 10:04

春というよりは初夏の陽気の中、関宿を訪れた。関宿は利根川と江戸川が分岐するところに位置する千葉県西北端の町である。かつては千葉県東葛飾郡関宿町だったが、平成の大合併で野田市の一部となった。
合併直前の人口は3万人を超えていたものの農村地帯が広がっている。また町内には鉄道はなく、埼玉県の東武動物公園駅から県境を超えてバスで30分ほどかかる。
そもそも関宿は、「宿」という地名でもわかるように、日光東往還の宿場町である。また利根川水運の関所も置かれていたことから、「関」と「宿」を合わせて「関宿」になったという。
さらに、室町時代に古河公方の家臣簗田氏がここに城を築き、江戸時代には関宿藩が誕生するなど城下町でもあった。とはいえ宿場町、城下町としての遺構はほとんど残っておらず、現在は平成7年に千葉県立関宿城博物館として関宿城が再建されているくらいだ。
関宿藩の初代藩主は松平康元である。父は久松俊勝、母は於大の方で、徳川家康の異父弟にあたる。家康から「松平」の名字を賜り、小田原攻め後に下総関宿2万石(のち4万石)を与えられた。
城下にある光岳寺は松平康元が母於大の方に孝養を尽くすために建立した寺で、創建当初は弘経寺であったが、徳川家康の命で於大の方の戒名「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」に因んで光岳寺に改められた。寺紋は「三つ葉葵」である。
関宿は利根川と江戸川の分岐点として利根川水運の要衝であることから、次々と譜代大名が城主をつとめた。落ち着いたのは江戸中期以降で、久世家が5万石前後で藩主をつとめた。幕末の当主久世広周は、老中として安藤信睦とともに公武合体を推進し、和宮の降嫁を実現したことでも知られている。