日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2025/11/11 10:04

目黒区駒場にある旧前田家本邸を見学してきた。渋谷駅から京王井の頭線で2駅、駒場東大前駅で降りて10分ほど歩くと、住宅地の中に駒場公園がみえてくる。この公園の中にあるのが旧前田家本邸である。この前田家は、加賀百万石藩主の前田家。明治以降は侯爵であった。
江戸時代、前田家の上屋敷は本郷にあった。現在の東大本郷キャンパスである。関東大震災後、政府は東京復興に際して東京帝国大学の敷地拡張を計画し、隣接していた前田家の土地と、駒場農学校の実習地の交換を打診した。16代前田利為はこれを受諾して本邸を本郷から駒場に移した。
当時の駒場は見渡す限り草原が続く田園地帯で、利為はこの1万坪に及ぶ広大な敷地に賓客をもてなす地上3階地下1階の洋館と、日本庭園を備えた和館を建設、当時東洋一の個人邸宅ともいわれたという。
英国滞在経験の豊富な利為の建てた洋館は、英国貴族の屋敷を模したといわれる華麗なもので、調度品1つ1つに気を配り、隅々まで贅を尽くしている。一方、渡り廊下で結ばれた和館は装飾を排した瀟洒な建物で、そのたたずまいは対照的である。



しかし、このあと前田邸は思わぬ変遷をへた。
第2次大戦中、利為はボルネオで搭乗していた飛行機が墜落して死亡。戦後屋敷は連合軍に接収され、極東総司令官リッジウェイの官邸として使用された。そして、接収解除後に国と東京都が土地を買収、昭和42年になって旧前田邸は東京都立駒場公園としてオープンした。
現在は洋館・和館ともに無料で開放され、ガイドによる案内も行われている。豪奢な洋館は一見の価値がある。