人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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石田三成のルーツ、長浜市石田町

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2023/06/13 10:49

多賀神社から彦根に戻って北上し、米原から北陸線で3つ目の駅が湖北の中心都市長浜市の長浜駅である。この東方に石田町という地名がある。ここが石田三成のルーツの地である。

長浜駅からはバス便が出ているのだが、タッチの差で逃し6kmを歩く羽目に。ひたすら歩き、北陸自動車道の下をくぐって、山の麓に広がる集落が石田町である。

石田三成は寺の小姓時代に、鷹狩りの帰りに寺を訪れた豊臣秀吉に3杯のお茶を熱さを変えて出したことから認められて家臣となったという逸話が有名なため、武士階級の出身ではないと思っている人も多いが、実は三成は石田村の土豪石田家の生まれである。

石田氏のルーツは諸説あってわからないが、戦国時代には石田村の在地武士であった。現在、石田氏の屋敷跡は石田会館になっており、敷地内には三成出生地の碑が建てられている。

会館の玄関では「大一大万大吉」の軍配を持った「三成くん」というキャラクターがお迎えしているなど、世間的には敵役のイメージが強い石田三成も、ここではヒーローである。

そして、驚いたのが会館の庭に建てられた1本の碑だ。そこには「小字名・治部」と書かれていた。三成は治部少輔という官位を得ていたため、通称石田治部と呼ばれていた。その「治部」が出生地の小字名として残されているのだ。

三成は「どうする家康」でそろそろ秀吉の家臣として登場してくるはずだ。主要人物が予想外のキャラクターとして描かれているため、三成がどういう人物として登場するかも楽しみだ。

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