人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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鳥居一族のルーツと本拠地

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2023/02/07 10:23

渡城跡

NHK大河ドラマ「どうする家康」では、若い家康をとりまく重臣達が数多く登場している。現時点ではその活躍はあまり目立っていないが、その中で異彩を放っているのが、イッセー尾形扮する何を言っているのか今一つわからない鳥居忠吉で、忠吉の息子元忠も登場している。

さて、鳥居氏の出自には諸説あるが、一般的には熊野の鈴木重高の末裔である重氏が鳥居法眼と称したのが祖とされている。鈴木氏は紀伊半島の熊野地方に古くから栄えた一族で、熊野信仰の拡大とともに全国に広がっていった。

『寛永諸家系図伝』などでは、重氏の子忠氏が父との不和から三河国渡(現在の愛知県岡崎市渡町)に移り、その17代の孫にあたる忠吉が岡崎城主となった松平清康に仕えたという。忠吉以前の鳥居氏の動向ははっきりせず、忠吉が岡崎城主の松平氏に仕えたことで鳥居氏は歴史上に登場した。

JR東海道線西岡崎駅の北口を出て、ここから東に向かって水田の中を1キロほど歩くと村社八幡宮があり、その向こう側には矢作川の土手が見える。この付近が渡町で、鳥居一族の本拠地であった。

西岡崎から渡方面を望む

そして土手下の民家の脇に鳥居氏の居城であった渡城跡があり、その近くには「鳥居氏発祥地」と書かれた碑が建てられている。

伝承に従えば一族の発祥地は熊野で、三河渡はあくまで三河鳥居氏の本拠地のはずだが、ここでいう「発祥地」というのは三河鳥居氏のルーツの地という意味なのだろう。

なお、鳥居氏は商人としての側面もあったともいい、ドラマ中でも年貢をごまかして密かに武器をため込むなど、槍一筋の武士とは違った側面を見せていた。

 

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