人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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2つの顔を持つ舞鶴市

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2023/01/24 10:08

中舞鶴の舞鶴地方総監部

年明けに京都に行ってきた。ただし、京都とは言ってもメインは丹後と宇治で、南北に縦断した形である。

丹後の中心都市は舞鶴市。舞鶴市は大きく西舞鶴と東舞鶴に分かれ、西舞鶴が城下町、東舞鶴が港湾都市と、その成り立ちが大きく違っている。

西舞鶴の田辺城址

城下町である西舞鶴には丹後田辺城がある。戦国時代には細川幽斎が築城し、江戸時代には譜代大名の牧野家の居城であった。江戸時代の藩名も舞鶴藩ではなく田辺藩である。しかし、京都府には他にも山城田辺という地名があり(現在の京田辺市)、和歌山県の田辺も有名であるなど紛らわしいので、明治維新後、田辺は舞鶴と改称した。

この舞鶴というのは、城下の南にある白鳥峠から田辺城を眺めるとあたかも鶴が舞っている姿に見えることから、別名舞鶴城と呼ばれたことに因んでいる。城の名が市名となっているのは珍しい。

その後、明治22年に舞鶴の東側の倉梯村付近が軍港化して新舞鶴町となり、舞鶴町と新舞鶴町の中間にあった余部町も中舞鶴町と改称している。昭和13年舞鶴町は市制を施行して舞鶴市となり、新舞鶴町と中舞鶴町は合併して東舞鶴市として市制を施行、東西の舞鶴市が誕生した。

そして、戦時中には軍部の強い要望で両市が合併して舞鶴市となった。とはいえ、城下町の西舞鶴と軍港の東舞鶴は町の性格が違うことから戦後には分離運動も起きたが、京都府議会で否決されて実現しなかった。

東舞鶴の軍港
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