人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

畠山重忠の居館菅谷館

このエントリーをはてなブックマークに追加

2022/06/07 11:03

畠山荘をルーツとして「畠山」と名乗った畠山氏は、重忠が鎌倉幕府の重鎮となると、より鎌倉に近く鎌倉街道の要衝でもある武蔵国菅谷館(埼玉県比企郡嵐山町菅谷)に館を構えて住んだ。

菅谷館は東武東上線の武蔵嵐山駅南方1キロほどの高台の上にあり、現在広大な遺構の一部は埼玉県立嵐山史跡の博物館となっている。現在残っている遺構は戦国時代の山内上杉氏や北条氏時代のもので、残念ながら重忠当時のものはないが、『吾妻鏡』に菅谷館に住んでいたことが記されており、ここが重忠の館であったことがわかる。

館跡のニノ郭には、畠山重忠の銅像がある。ただし畠山史跡公園の銅像とは全く違って平服姿である。

館跡のニノ郭

畠山重忠は武将として優れていただけではなく、頼朝の命で、丹党・児玉党の両党の確執を調停したり、寺社奉行として永福寺を担当するなど、行政官としても有能であった。また音曲にもすぐれ、鶴岡八幡宮で静御前が頼朝夫妻の前で舞った際には銅拍子で伴奏している。

館跡のすぐ隣はオオムラサキの森で、夏になると国蝶オオムラサキがみられる。さらにその南側は蝶の里公園として整備され、年間を通して約60種の蝶を観察することができるという。

嵐山で売られている、蝶の里公園にちなんだお土産
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ