日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

2026/09/01 10:32

先週紹介した次太夫堀の近くに、慶元寺という浄土宗の寺院がある。ここには小田急線狛江駅からバス便が出ている。降りるバス停は「喜多見中学校」か「喜多見住宅」。この付近の地名が「喜多見」である。

慶元寺は、文治2年(1186)に江戸太郎重長によって江戸城付近に創建された。江戸氏は桓武平氏秩父氏の一族で、重継が武蔵国豊島郡江戸に住んで江戸氏を称したのが祖。子重長は石橋山合戦では平家方に属したが、まもなく源頼朝に転じ、鎌倉幕府の有力御家人となっている。畠山氏の滅亡後は武蔵国を代表する武士となり、荏原郡を中心に一族を分出した。
しかし、室町時代になると江戸氏は次第に没落していった。そして太田道灌に江戸城を追われて喜多見に転じ、その際に慶元寺もともに喜多見の地に移ってきた。戦国時代には北条氏に属した後に徳川家康に仕え、地名をとって喜多見氏と改めた。
江戸時代には旗本となり、3代目の重政は5代将軍徳川綱吉の側用人となって1万石に加増され、喜多見藩1万石の大名となった。その後さらに2万石に加増されたが、元禄2年(1689)突然改易されている。理由は分家の刃傷事件への連座といわれるがはっきりしない。
菩提寺である慶元寺には喜多見氏歴代の墓所が残っており、世田谷区指定史跡となっている。
